いよいよ令和五年も最後の日となりました。今年も「無事是名馬」家族共々、無事に過ごせたことに感謝です。
家族とは昨日に総勢8人が久しぶりに集まり、賑やかに、楽しく過ごしました。本日は夫婦二人と柴犬1匹の大晦日ですが、朝から久しぶりの雨のようです。そして、今年の東京は、本当に暖かい冬です。
この1年も、寺院、神社と変わらず訪問しました。府中市の「大國魂神社」から始まり都内中心に40か所くらい行ったでしょうか。
著名人のお墓のある寺院
その中で印象に残っているのを挙げると、江戸時代に活躍した人物の関係ある寺院が幾つかありました。一つは、世田谷区にある「豪徳寺」です。彦根藩井伊家の菩提寺で、大老「井伊直弼」の墓もあります。墓石は、唐破風笠位牌型です。
豪徳寺と云えば、招き猫です。招き猫に囲まれた如意輪観音が考え込んでいます。
次に、新宿区の四谷界隈の寺院「西念寺」です。ここは、大河ドラマの家康でも登場した服部半蔵が開基した寺院で、開基によって、松平信康(徳川家康嫡男)の供養の為に開創されました。
本堂の右側に「服部半蔵の墓」があります。
服部半蔵の墓の傍に「岡崎三郎信康」供養塔があります。信康の母は築山殿(大河ドラでは「瀬名」)です。母子ともに自害しています。
そして、世田谷区に家康の二男秀康の開基した「森厳寺(しんがんじ)」があります。慶長13年(1608)の創建になる浄土宗の寺院です。
この寺院の開基は、これも大河ドラマに登場していた家康の二男秀康です。秀康は、名前のとおり秀吉、家康から一字ずつもらい、歴史に翻弄された、波乱万丈の生涯を送っています。
本堂内陣の阿弥陀三尊像です。上部に「徳川葵」の寺紋が見えます。
新宿区東西の総鎮守「花園神社」と「十二社熊野神社」
印象に残っている神社です。新宿区「東の総鎮守」は、酉の市で知られる「花園神社」です。大都会新宿の歓楽街、歌舞伎町に近く、丁度お祭りのときでしたので、大変な賑わいでした。
明治通りからの正面入口、朱色の大鳥居です。両側の露店で賑わっています。
多数の煌びやかな神輿が、出番を待っているのか、宝物殿の前のスペースに置いてありました。
花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿を守る総鎮守として存在し、徳川氏が武蔵国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとも云われています。
拝殿の扁額には、3つの神社の名前が掲げられていました。
そして、新宿区「西の総鎮守」は、「十二社熊野神社」です。新宿の都庁には、何度か行っていますが、その隣にこのような広い境内の神社があるとは、思いませんでした。高層ビルを背景にした拝殿です。
この辺りは、江戸時代、池や川があり「十二社の滝」が流れる景勝地だったようで、浮世絵にも描かれていて驚きました。
名所江戸百景 「角筈熊野十二社俗称十二そう」
江戸名所図会「十二社の滝」 二代目歌川広重 文久2年(1862)
十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎氏が、紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。
都心の寺社散策で、その他印象に残っているのは、世田谷区「烏山寺町」の寺院です。寺町通り沿いに「多聞院」、「幸龍寺」など26もの寺院が軒を連ね、「小京都」と呼ばれる落ち着いた雰囲気の所です。ここが東京かと思われる白壁の連なりがありました。
多聞院の石彫涅槃図
その他、日野市の大仏、釈迦如来大仏の「善正寺」、東京から離れて札幌市の藻岩山の麓の「観音寺」などが印象的でした。
釈迦如来大仏(日野市善正寺)
まだまだありますが、この辺で令和五年の回顧といたします。
東京都の寺院の数約2900寺、神社は、その半分くらいです。わたしの訪問した寺院、神社は合わせて200~300寺社位でしょうから、これからも続けていけそうです。
因みに全国の数からいえば、寺院、神社何とそれぞれ8万寺社くらいです。日本人の篤い神仏信仰の表れと云えます。
それでは、皆さま良い年をお迎えください。
おわり