東京都世田谷区「烏山寺町」  鍋島客殿のある「妙寿寺」

 世田谷区「烏山寺町」の散策が、また続きます。今回は、法華宗本門流の寺院、「妙寿寺」です。 妙寿寺の山門の右に銀杏の木があります。樹齢は分かりませんが、相当な大木で目印となります。

 

 山門は、昭和60年(1985)、日隆聖人の生誕600年の慶讃事業として新設された総桧造りです。

 

 山門の左側に、妙寿寺の由緒、文化財などと、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩碑の説明掲示板があります。

 

御由緒

 妙寿寺は、今から400年程前の寛永8年(1631)、妙感寺として江戸の谷中清水町に開創されました。

 その後、寛文2年(1662)に日崇上人が本所猿江村へ寺地を移し、寺号を「妙壽寺」と改めました。山号は本覚山です。

大正12年(1923)の関東大震災によって堂宇の全てを焼失し、烏山寺町に寺地を移し現在に至ります。

 

山門から境内へ

 境内に入ると、鬱蒼と茂る緑が境内を覆い、参道が本堂の方向へ続いています。

 

 参道の右側に、世田谷区の有形文化財に指定された「鍋島客殿」へ行く小道があります。

 

 そのまま、参道の左側を見ながら本堂の方へ行きます。直ぐ左に四阿(あづまや)があります。手前に井戸が見えます。

 

宮沢賢治の詩碑

 その隣に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩碑があります。賢治が手帳に記したままを刻したものです。

 法華経の教えに深く帰依した賢治は、この詩の横に南無妙法蓮華経曼荼羅を書いています。

 

 そして、この大灯篭は、2011年の「東日本大震災」により倒壊した為、その記録として残したものです。

 

 これも震災の遺物です。大正12年(1923)、関東大震災により被害に遭って破損した梵鐘です。享保4年(1719)、幕府御用を務め、名工として名高い太田近江大掾(おおたおうみだいじょう)、通称「釜六」の作です。

 鐘の表面に「武州葛飾郡本所猿江稲荷別当本覚山妙寿寺」と刻まれています。これは、寺がかつて本所猿江村に所在していた重要な記録となっています。このように大地震の被害を後世に残しています。

 

 参道から、右手の後方に「鍋島客殿」が見えます。

 

 本堂までの参道脇に竹林や巨木があります。

 

本堂

そして、右側に本堂です。参道は、真っ直ぐ墓地に続きます。

 

 本堂は、移転時から使われてきた旧本堂を解体して、昭和59年(1984)に再建された鉄筋コンクリート建築です。

 

扁額は、寺号の「妙壽寺」です。

 

本堂内部の一部です。

 

 本堂の西側から境内の北側の地域が広い墓地になっています。江戸後期の石門心学者中沢道二、政治家川島正次郎の墓所大原麗子立川談志など著名人の墓所が多いようです。

政治家川島正次郎の墓所です。

 

 また、永代供養墓の正隆廟(しょうりゅうびょう)や動物廟(ペット墓)などもあります。

永代供養墓です。

 

鍋島客殿

 そして、参道を戻り鍋島客殿の方に行きます。途中の参道から見た鍋島客殿の西側の2階部分です。

 

 鍋島客殿は、旧肥前国蓮池藩鍋島家(子爵)の邸宅を移築したものです。明治期の華族や上流階級の暮らしを伺わせる貴重な建築です。

鍋島客殿全体景観です。

 

通用玄関などがある平屋建ての東側部分です。

 

 書院造りで座敷や大広間を擁する2階建ての西側部分です。

 

高床住居となっているようです。

 

客殿の西側に、本堂が見えます。

 

この境内は、世田谷区から保存樹林地に指定されています。

 

御朱印

 最後に御朱印です。鍋島客殿の右側に庫裡があります。住職は、不在でしたがすぐ戻り書いて頂きました。庫裡も立派です。

 

南無妙法蓮華経の見事な御朱印です。

 

所感

 境内に入ると全体が緑に覆われ、よく管理が行き届いており、心が洗われるような思いでした。御住職や奥さんも丁寧に対応頂きました。

 妙寿寺は、江戸谷中清水町の開基に始まり、深川猿江町に移り稲荷神社の別当になるなど明治期、大正期を通じ隆盛しました。

 そして、大正12年関東大震災で一変します。この大地震で、殆どの什物(じゅうもつ)や過去帳、文献などを焼失し、本堂などの堂宇も全て失っています。

 その後、この地に移転し、昭和2年に当時港区麻布にあった蓮池藩鍋島家邸宅の和風住宅の移築、また本堂を再建するなど、復活した姿は見事なものです。

 文化財も多数所蔵されているようです。関東大震災時に焼失を免れた文化財に、「日蓮聖人坐像」、「十界曼荼羅」などがあります。移転後に所蔵された文化財も多く、その中に伊東深水作の「日蓮大聖人旭ケ森図」があります。この絵のモデルは、妙寿寺21世三吉日照上人です。

 日照上人は、45年間にわたって妙寿寺の住職を務め、関東大震災や大戦時の宗教弾圧、「曼荼羅不敬事件」などの苦難を乗り越えた方です。こういう方がいて妙寿寺は復活できたのであろうと想像します。

                   

参考資料

 妙寿寺ホームページ

 境内説明掲示

                   おわり