「めのう観音像」の長善寺 

 神社、仏閣の散策は、都心の方を訪ねてみようと思います。今回は、新宿区四谷界隈の寺社です。

新宿区で御府内(江戸の市域)にあたる地域には、かつて武家屋敷を中心とした町が形成されていたことから、曹洞宗臨済宗寺院が数多くありました。

 明治時代以降の区画整理等を契機に多くの寺院が中野区や杉並区に移転しましたが、現在も百数十の寺院があります。一方御府外(豊島郡域)にあたる地域には、真言宗寺院や日蓮宗寺院が多くあります。

 新宿区四谷にある長善寺を訪ねました。ここは「めのう観音菩薩像」で有名です。

東京メトロ四谷三丁目駅から新宿通りを西に5分程度歩いたところにあります。

山門は木を組み合わせたようなもので、参道から本堂まで広く見通しが良くシンプルな感じの境内です。

山門の傍には、寺号標はありませんでしたが、左右の門にシンボルの笹が描かれています。

長善寺の山門

 曹洞宗寺院の長善寺は、四谷山(しこくさん)と号します。天正3年(1575)甲斐国戦国大名武田信玄の家臣であった高坂昌信の居所に結ばれた草庵を起源とし、四谷付近では最古の寺院の一つだといいます。

 通称笹寺とも呼ばれますが、二代将軍秀忠が立ち寄った際に笹が繁っていたことから、笹寺と称するよう命じられたといいます。

尚、関東大震災の被災者を慰霊するために創始された東京三十三観音霊場の16番の札所となっています。

 

扨て、本堂です。堂々たる本堂で、隣に寺務所が併設されています。

本堂

本堂の扁額には、笹寺と書かれています。

扁額

併設された本堂と寺務所

 御住職にお願いして、本堂の内部を見せて戴きました。

御本尊は、元禄年間の作の釈迦如来像です。内陣の奥に安置されていますが、暗くてよく拝観できませんでした。撮影は禁止ということでしたが、「めのう観音像」は、内陣の一番手前にありじっくり拝観できました。

 本堂の前に掲示板とともに写真がありましたので掲載します。

長善寺(笹寺)のめのう観音菩薩

 新宿区の指定有形文化財で、以下、新宿区教育委員会掲示板の説明です。

本堂の前の「めのう観音菩薩像」掲示

「赤めのうで彫られた珍しい観音菩薩像である。像高4.9cmの小像であるが、容貌は豊麗で精密な作品である。
黄銅製の光背が付され、宝形造の屋根をもち、正面下に蓮華、左右下部に笹寺に因んだ笹の浮彫りがある台座に安置されている。
本像は、二代将軍徳川秀忠の念持仏を、夫人の祟源院から賜ったものと伝えられている。」

 

 めのう観音菩薩像は、厨子の中で更に全体を円筒のガラスケースに覆われています。

「赤めのう」とあって写真よりずっと赤く濃い朱色です。像高4.9cmということですが、光背、蓮華座、台座があるせいか以外に大きく見えます。少しきりりとしたお顔で、右手で衣文の端を掴み、結跏趺坐の見事な彫刻でした。

 

境内には興味深いものが多数ありました。

蟇塚(がまづか)があります。慶応大学医学部生理学教室で実験用に使われた、蛙たちを供養するために建てられたものです。瀬戸物の蛙の像とともに、安置されています。

蟇塚

蛙の置物 親子で可愛い。

蟇という漢字は、ひきがえる、がまがえる、あるいは、がまと読むようです。

 

そして、境内には四谷勧進角力始祖と刻まれた大きな石碑があります。これは江戸時代の伝説的な力士、明石志賀之助寛永元年に境内で6日間の相撲興行をしたのを記念して作られたものです。明石志賀之助は、初代横綱(江戸最初の横綱)です。

四谷勧進角力始祖の石碑

 

 高祖承陽大師の石碑があります。高祖承陽大師は、大仏寺から改称した永平寺開山の道元禅師のことです。

道元禅師の生きた時代は、今から約800年前の鎌倉時代です。

高祖承陽大師の石碑

また、山門から入った直ぐ左に稲荷神社があります。鳥居の扁額に出世稲荷、金宝稲荷と書かれています。その隣が不動明王尊像の祠があり、中に不動明王らしき石仏が安置されています。

稲荷神社の鳥居

稲荷神社の祠

不動明王尊像の祠

祠内の不動明王の石仏

 その他、石碑、仏像等が多数並んでいましたので掲載します。

 

 都心のど真ん中にこのような珍しい仏像や塚、石碑など保有した寺院があるのですね。他の寺院も丹念に探してみたいものです。

 

最後に御朱印です。本堂の内部を拝見したときに、寺務所で書いて戴きました。

御朱印

                             おわり