一昨日、元会社の同期会が新橋のホテルで開かれましたが、懇親前に、近くの「烏森神社」に参拝しました。
烏森の地は、武蔵の国、桜田村と呼ばれていた時代には、江戸湾の砂浜で松林でした。この松林に烏が多く集まって巣を作っていたことから「烏森」と呼ばれます。その後、新橋に改められ、今では新橋駅の烏森口と烏森神社にその名をとどめます。昨年、上目黒の「烏森稲荷神社」に参拝しましたが、そこも「烏森」の地名は消え、小学校など住区の名称にとどめています。
境内へ
JR新橋駅の日比谷口から直ぐ2,3分で参道(路地)の入口に烏森神社の看板があります。
木製の一之鳥居がありました。
参道が、飲み屋街の路地となっています。
路地を抜けると少し変わった形の「二之鳥居」です。都会の神社は、敷地の関係からこのような工夫した形になっているようです。真っ直ぐ階段を上ると拝殿です。結構、参拝の方が並んでいます。
鳥居に入って直ぐ右手にコンパクトな手水舎です。柄杓はなくかけ流しです。
その上に「烏森神社縁起」が書かれた説明書きがあります。
御由緒
説明書きの内容です。
「平安時代天慶3年(940)に、平将門が東国で反乱を起こした時、征討将軍藤原秀郷が当社に戦勝を祈願したとも、このとき勧請したとも伝えられている。室松時代の享徳4年(1455 )には室町幕府の関東管領で古河公方と云われた足利成氏は、当社に戦勝を祈願した。その祈願状は今日も当社の宝物として伝えられている。江戸時代は稲荷信仰により祭礼も2月初午の日に執行せられ、稲荷祭としてその賑わいは、江戸で一、二を争うものであった。
明治以降は五月四五六日を祭日とし、夏祭のはしりとしてその名をうたわれている。社殿は、伸び行く新橋の地にふさわしい近代建築美の中に、神社本来の伝統を加味し昭和46年に竣工したものである。」
御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
天鈿女命(あめのうずめ)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
御利益
商売繁盛、技芸上達、家内安全、諸事円満、福貴繁栄、必勝祈願成就
都会のコンクリート社殿
社殿の手前に阿吽の狛犬です。まだ新しそうで都会の狛犬らしい造りです。
社殿です。やはり狭く、社地なりの工夫があり、都会の社殿らしく近代建築のコンクリート社殿です。
拝殿には参拝者が続きます。比較的若い男女が多く人気の神社のようです。
扁額の文字は、「烏森神社」。
社紋は、烏紋と左三つ巴です。
烏紋
左三つ巴
社殿の手前の左側に「きやり塚」と「力石」があります。
木遣塚(きやりづか)とは、元禄年間、江戸城普請の時うたい始めた木遣節を後世に伝えるために建てたもので、あちこちの神社にあるようです。
力石は、力比べで使ったもので、よく神社で見かけます。
華やかな社務所
社殿の階段の左脇に社務所があります。通路の奥ですが、ここに来ると華やかな感じです。いつも行く他の神社と違う雰囲気です。
ここには御朱印だけではなく、「心願色みくじ」、「朱印護符」、「癌封じ御守り」などの各種アイテムがあります。
御朱印もカラフルな限定御朱印が多数あるようです。この辺が若い方々に参拝の多い理由かと思います。
「心願みくじ」は、願望、占うものによって四色に色分けされたおみくじで、おみくじと一緒に願掛けができるというものです。
専用の書き処にて赤、黄、緑、青のペンを使用して願い事を書き、結び紐に付け、後日、心願成就祈願が行われるそうです。
書き処は華やかです。
烏森神社の御守り一覧です。
特に「癌封じ御守り」が有名です。癌以外の「病気平癒守り」もあります。
「朱印護符」は、御朱印と同じデザインのシール型の御守りです。御守などは人気が高く御利益があるとして頂く方も多いようです。
その他、辰の飾り物などです。
御朱印も各種あります。
カラフルな干支御朱印を頂きました。
烏森神社の「無病息災の御守り」、「開運招福の長寿梅茶」も頂きました。
おわりに
新橋という都会の駅近くに、狭いながらこのような神社があるとは思いませんでした。お正月明けまもなくながら、引きも切らない参拝者が多く、しかも、若い男女が多かった印象です。
授与品、心願みくじなどオリジナルのアイテムが豊富で、若い人達の人気のパワースポットのようです。企業努力が優れた神社だと感じました。
以上