杉並区の寺社の散策を行っています。前回まで「京王井の頭線」沿線、永福町駅近辺でした。今回は、その北側の「丸ノ内線」「中央線」沿線高円寺駅近辺の寺社散策となります。
先ず、丸ノ内線「新高円寺駅」から数分の所にある「猿田彦神社」に行きました。
住宅街の「馬橋通り」に面しており、朱色の鳥居が目立ちます。鳥居の後ろ直ぐに拝殿です。
猿田彦神社の御由緒
鳥居の右に説明掲示板があります。
猿田彦大神は天孫降臨(てんそんこうりん)の時、天野八衢(あめのやちまた)に迎えて啓行され、天孫を高千穂峰に導きました。 その後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)に送られて、伊勢の五十鈴の川上に来られ、ここを中心に広く国土を開拓指導された地主の神と伝えられております。
猿田彦大神の大本社として、猿田彦大神の墳墓近くの御船磐座(みふねいわくら)付近に椿大神社(つばきおおかみやしろ)が造営されています。
猿田彦神社は、この椿大神社より猿田彦大神の御霊を勧請して創建されました。
御祭神 猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
社殿参拝
鳥居から一揖して入り、先ず右手にある手水舎で清めます。コロナの影響で柄杓が無く流し放しの手水舎が多いようです。
扨て、拝殿です。
拝殿正面です。社紋は、五七の桐(ごしちのきり)。秀吉が使用していました。
拝殿の柱に「猿田彦神社」と書かれた木札です。
社殿の右側面です。
境内全体ですが、住宅街の一画に鎮座したこぢんまりとした境内です。左に鳥居、その奥に社殿、中央に御神木のマツです。右手に社務所があります。
太道教(たいどうきょう)
そして、中央の参道を進むと、「太道教本部」があります。
猿田彦神社と同じ敷地内に「太道教本部」が置かれています。太道教本部は、鹿児島県霧島市にある霧島神宮より天孫(てんそん)降臨の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御霊を勧請して創建されました。
御祭神の瓊瓊杵尊は、『古事記』『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する神です。天照大御神の孫である事から天孫と称されています。
太道教は、天理教から派生して、中村しげが開いた神道系教団です。霧島神宮の関東における講社として、昭和15年(1940)に宗教結社太道教として届出が認可されました。戦後新たに施行された宗教法人令の元で、昭和21年(1940)、宗教法人太道教としてあらためて立教宣言しました。
正面左の柱の木札に「太道教本部」、右に「天孫降臨顕彰會本部」の木札が掛かっています。
正面内部です。
御神水
拝殿の右手に糺水宮(きゅうすいのみや)という祠があります。井戸の神として祀られています。
糺水宮御神徳の看板。
横に「御神水所」の矢印の看板があります。その方向に行くと、社殿の脇に狭い通路があります。
狭い通路の先には手押しポンプ式の御神水所があります。
レバーを下げると御神水が出ます。
おわりに
「猿田彦神社」の境内に、天理教から派生した神道系教団の「太道教」という社殿もあるのに、こういうケースは初めてなので少し違和感がありました。
天照大御神が、孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に国土の統治、繁栄を命じます。瓊瓊杵尊は、三種の神器・稲穂を持ち、高千穂へ降臨。その途中、瓊瓊杵尊の道案内をしたのが猿田彦大神です。
このような天孫降臨にまつわる瓊瓊杵尊を主祭神とする「太道教」、その瓊瓊杵尊を導いた猿田彦大神を御祭神とする「猿田彦神社」という繋がりがあることが分かりました。
この神社は、こぢんまりとしたコンパクトな造りですが、し境内は綺麗に整えられていて、落ち着いた雰囲気です。近所の方でしょうか、絶えることなく参拝していく姿を見かけました。宮司さんの対応も丁寧で、わたしも気持ちよく参拝することが出来ました。有難うございます。
以上