豊島区高田:徳川家ゆかりの寺院「根生院」江戸時代の歴史と文化

 今回の寺社散策は、東京都豊島区高田です。「御府内八十八ヶ所」札所の寺院3カ所が近くにあり、そして神社も巡ります。最初に「根生院」です。

 

 最寄り駅は「都電荒川線」の学習院下です。いわゆる路面電車ですが、懐かしく何十年ぶりかで乗りました。結構利用する人が多く、なかなか快適です。

 

 学習院下駅から東に数分の所に真言宗豊山派の寺院「根生院」があります。

 

根生院(こんしょういん)

 山号:金剛賓山

 院号:根生院

 寺号:円壽寺

 宗派:真言宗豊山派

 本尊:薬師瑠璃光如来秘仏

 創建:1636年

 開山:栄誉

 札所:御府内八十八ヶ所霊場35番札所 

 

根生院の縁起

 創建は、江戸時代初期の寛永12年(1636)に春日野局の発願により栄誉法師を開山とし神田白壁町に建立しました。正保2年(1645)下谷長者町へ移転、貞享4年(1687)には新義真言宗触頭を勤めていました。元禄元年(1688)には本郷切通坂知足院跡へ移転しています。

 明治維新後の明治22年(1889)に、上野池端七軒町へ移転、明治36年(1903)当地へ再移転し、現在に至ります。

 

山門へ

 延寶6年(1678)の欅材で、通称「赤門」と呼ばれています。朱塗りの門は徳川家由来の寺院です。昭和20年の戦火を免れ、やや朽ちた山門です。

 

山門の前には石碑、石像が並んであります。左側に「勝稲荷大明神」の石碑。

 

 その後ろに「遍照金剛密号碑」。宝暦7年(1757)府内八十八ヶ所巡拝の初期に建立された碑、現存は少ない。

南無遍照金剛、御府内八十八ヶ所、第三十五番の文字が刻まれています。

 

 また門前に庚申塔も二つ並んでいます。左側の「奉供養庚申塔」は、笠が取れて無いが、笠付庚申塔です。元禄3年(1690)作で「奉供養庚申天子」の文字の下に三猿。

 右側の青面金剛庚申塔は、天保6年(1835)作。形が崩れているのが残念です。どちらも豊島区有形文化財に指定されています。

 

境内

赤門を潜ります。

 

全体を見渡すと寺院とは思えません。左側が現代的な本堂です。

 

 先ず境内の右側の手水舎です。相当歴史がありそうですが、湯島から、元禄元年(1688)に移築した水屋です。

 

本堂

 本堂に参拝です。本堂は、本堂は、戦後昭和28年(1953)に建てられ、平成14年(2002)に建てられ、平成14年に改築しています。階段を上がります。

 

扁額は「根生院」。賽銭箱に徳川家の「三つ葉葵」の寺紋。

 

 本堂内には入れませんが、ガラス戸越しに内陣を観ることが出来ます。御本尊は、秘仏で拝観出来ないと思っていましたが、中心に「薬師瑠璃光如来立像」、そしてその背後に脇侍の日光菩薩月光菩薩も拝めました。

 

境内の文化財など

 本堂前の左側には稲荷舎、石仏、石碑などが並んでいます。

 

山門に近い所に稲荷舎があります。明治初期から正一位稲荷大明神を祀っています。

 

石灯篭に三葉葵が彫られています。

 

 大日如来坐像です。造立年は寛文6年(1666)。大日如来は、金剛界胎蔵界のものがあり、この大日如来胎蔵界のもの。金剛界大日如来は「知恵」の面から、胎蔵界大日如来は「慈悲」の面からとらえた姿だといいます。

 

所願成就の碑で、虎の絵が刻まれています。元禄11年(1698)。

 

 山門前にもありましたが、南無大師遍照金剛密号碑で、宝暦7年(1757)、府内八十八ヶ所札所の石標。

 

境内中央にある文化彫。江戸時代の歌人連歌の碑です。

 

御朱印

 最後に御朱印です。本堂の右側にある庫裡にて。親しみやすく柔和な御住職が、質問にも丁寧に対応頂きました。

庫裡。

 

おわりに

 この根生院は、徳川家由来の寺院で、赤門、三つ葉葵、そして触頭を務めていたなど格調高い寺院です。しかしながら、寺院は、神田白壁町、本郷切通坂など、度々の移転を繰り返しました。苦難の末に現在まで維持していることは、当時の夫々の御住職が苦労されたことが偲ばれます。

 境内には、移転を繰り返した割には、赤門をはじめ大日如来の石像、所願成就の石碑など17世紀の文化財が多数ありました。また、本堂にて春日仏師の作の薬師如来を拝観できたのは予想外のことでした。小さい寺院ながら見応えがあり、また石碑、石仏などにはしっかり説明書きの立て札があり御住職の親切さが有難い寺院でした。

                 以上