東京都豊島区高田「目白不動堂」大師作の秘仏「不動明王像」

 今回は、東京都豊島区高田の金乗院内にある「目白不動堂」です。前回の御府内八十八ヶ所、三十八番札所の「金乗院」の続きです。

 

目白不動尊の縁起

 目白不動堂は、東豊山浄滝院新長谷寺と号し、金乗院より東の文京区関口駒井町にあったが、昭和20年の戦災にて焼失したため、金乗院に合併し、本尊目白不動明王金乗院に移した。

 本尊不動明王弘法大師作と伝えられ、高さ8寸の断臂(だんぴ)不動明王といい秘仏である。

 大師作の不動明王像を祀ったのが始まりで、元和4年(1618)大和長谷寺第四世小池坊秀算僧正が中興し、二代将軍秀忠公の命により堂塔伽藍を建立し、また大和長谷寺の本尊と同木同作の十一面観世音の像を移し、新長谷寺と号した。

 寛永年中、三代将軍家光公は特に本尊断臂不動明王に目白の号を贈り、江戸五街道守護の五色不動(青・黄・赤・白・黒)のひとつとし、以後は目白不動明王と称することになった。またその辺り一帯を目白台と呼ぶこととなった。

 本尊目白不動明王はみずから断ち切られた御臂(おんて)を衆生のために与えられる断臂護身明王として、すこぶる霊験あらたかである。

金乗院のしおり」より抜粋

 

江戸名所図会」にも当時の目白不動堂の挿絵が紹介されています。

寺域除地1,752坪で、「境内眺望勝れたり、雪景もっともよし」とされました。

 

目白不動

 目白不動明王像を安置する不動堂は、本堂の右側、山門を入って右手に建てられおり、階段を上って参拝します。

 

階段を上ると目白不動堂と右手に幾つもの地蔵尊が配置されています。

 

 入母屋造の不動堂は比較的小さく、「目白不動堂」と書かれた扁額も真新しい感じです。

 

因みに、江戸五色不動は以下です。

 目青不動尊 世田谷区 教学院 天台宗

 目黄不動尊 台東区 永久寺 天台宗

 目赤不動尊 文京区 南谷寺 天台宗

 目白不動尊 豊島区 金乗院 真言宗

 目黒不動尊 目黒区 瀧泉寺 天台宗

 目黒と今回の目白以外3不動尊は未だ拝観していないので、機会があれば参拝したいものです。尚、目白不動尊以外の寺院は真言宗ではなく、全て天台宗の寺院です。

 

不動堂の右手の六地蔵延命地蔵です。

 

庚申塔、石仏群

 不動堂側左の参道に墓地に行く階段があります。その両側には庚申塔、石仏などがたくさん並んでいます。

 

 目白不動堂入り口の2基の庚申塔です。左の角柱型庚申塔は元禄5年(1692)の造立、下部に三猿。右の庚申塔は舟型、延宝5年(1677)、下部には同様に三猿が刻まれています。

 

尚も墓地への参道が続きます。

 

右側の如意輪観音像、延宝8年(1680)の年号。

 

本堂側にも石仏、庚申塔などが並びます。

 

 墓地へ向かう参道に庚申塔地蔵菩薩像、弘法大師の石造群。17世紀後半のものが多いようです。

 

 左の笠付角柱型庚申塔は、青面金剛像、三猿で、寛文8年(1668)の年号があります。右の舟型光背型の地蔵菩薩立像は寛文10年(1670)のもの。

 

他にも石像が多数あります。

 

墓地

 墓地入口にある青柳文蔵の墓です。日本の図書館の始祖青柳文蔵の墓とあります。青柳文蔵は、江戸時代中期の医師、学者。公事師として財をなし、天保2年(1831)、仙台に書籍2万巻余を集め、日本の最初の公開図書館「青柳文庫」をつくりました。

 

 墓地の奥にある丸橋忠弥の墓です。慶安四年(1651)に江戸幕府の転覆を図った由井正雪の乱に加わって処刑されました。宝蔵院槍術の達人で、歌舞伎、映画の題材となっています。

 

御朱印

 最後に御朱印です。本堂の左側にある庫裡にて前回の金乗院の聖観世音菩薩と共に頂きました。

 

おわりに

 今回は金乗院の続きで、山門近くの目白不動堂、墓地への庚申塔、石仏群そして丸橋忠弥、青柳文蔵の墓を見て回ったときのものです。目白不動堂は、寺域除地を昭和20年の戦災により焼失、金乗院に合併し、目白不動尊を移しましたが、金乗院共々よく復興したと思います。御本尊の目白不動尊秘仏ということで拝観が叶わず、残念でした。

目白不動 金乗院のしおり」より

 

 この不動明王像(8寸)は弘法大師御作と伝えられ、「断腎不動明王」といい秘仏です。みずから断ち切られた御腎(おんて)を衆生のために与えられる「断腎護身明王」としています。
 縁起によれば、弘法大師が唐より御帰朝の後、羽州湯殿山に参寵された時、大日如来が忽然と不動明王のお姿となり、大師に告げた。明王は「此の地は諸仏内証秘密の浄土なれば、有為の穢火をきらえり、故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏の浄火をあたうべし」といわれ、持てるところの利剣をもって、みずから左の御腎を切られると、霊火が盛んに燃え出でて、仏身に満ち溢れた。
 大師は二体を刻んで、一体は同国の荒沢に安置し、一体は大師自ら護持されたという。

 写真を拝見すると、確かに左腕の御臂が無く、霊火が燃え盛る様がよく表わされています。秘仏で正月の28日のみ御開帳されるようなのでぜひ拝観したいものです。

尚、山門の前の不動明王も、いつもは羂索を持つ左手が欠けているようでした。

                   以上