東京都中野区 石仏群と庚申塔の真言宗の寺院「実相院」

 中野区の散策の続きです。「新井薬師」、「新井天神北野神社」と参拝し、次の目的地の「実相院」を目指します。

 

 Google Mapsを見ながら住宅街の「妙正寺川」の新井橋を渡り北の方角に行きます。

 

実相院山門

 西武新宿線新井薬師駅の次、「沼袋駅」を過ぎると直ぐに実相院の山門が見えます。まだ新しく簡素な山門です。昭和56年、本堂とともに竣工されました。

 山門の隣の建屋(実相院如意ホール)に「輪違い」の寺紋が見えますが、真言宗豊山派の寺院であることが分かります。総本山は、奈良県桜井市にある長谷寺です。

 

 山門の横の寺号標です。如意山実相院と刻まれています。

実相院は、真言宗如意山実相院世尊寺が正式名称です。

 

境内へ

細長い参道ですが、正面に本堂です。

 

参道左右に石組が見えます。左側に多数の石仏が並んでいます。

 

参道の右側には、庫裡や木の陰で見えにくいですが、地蔵菩薩立像などがあります。

 

参道の石仏群

 参道の左側は、石組の上に石仏が並んでいます。

 

 山門の近い所にある舟形光背の「如意輪観音像」で、造立年元禄4年(1691)が刻まれています。

 

如意輪観音像は、もう一基あります。

 

馬頭観音の文字が刻まれています。上部が一部欠損しています。

 

聖観音菩薩立像です。享保16年(1731) 造立。

 

大日如来坐像で、 元禄15年(1702)と刻まれています。上部の梵字は、大日如来を表す「バン」で、法界定印(ほっかいじょういん)を結んでいます。

 

参道の右側にある地蔵立像で、天和2年(1682)の造立です。

 

これらの石仏が本堂まで続いています。

 

本堂

 本堂です。大戦にて被災しましたが、戦後の早い段階で復興し、現在の本堂は、昭和56年に落慶し、現在に至ります。

 

実相院の縁起

 実相院の創建年代は不詳ですが、正平7年(1352)に新田一族が武蔵に足利軍と戦ったとき、 新田六郎左衛門政義の三男、矢島三郎信氏の子孫である矢島内匠、同図書が戦いに破れ、結城氏一族とともに沼袋村に来て一家屋を建立したのが起源であると伝わっています。

 現在でも矢島姓を名乗る檀信徒が半数以上を占め、別名「矢島寺」とも呼ばれています。(実相院公式サイトより抜粋)

 

本堂の近くの修行大師様です。

 

納骨堂の十一面観音像です。

 

隣の石塔。

 

墓所入口の庚申塔など多数の石仏

 そして、本堂の左側(西)に墓所が広がっています。墓所の入口の両側に石仏が並んでいます。

六地蔵様など墓所入口右側の石仏です。

 

右側入口近くの南向きに、不動明王立像です。

 

その左に六地蔵菩薩立像が並びます。



 

更に六地蔵の左側に庚申塔が並びます。

 

六地蔵の左側の庚申塔です。六臂の青面金剛立像で、その下に一邪鬼、三猿が見えます。

 

その左に 智拳印を結ぶ、大日如来坐像です。

 

これらの石仏の向かい側に、庚申塔など五基の石塔が並んでいます。

 

 左端の庚申塔は、笠付角柱型で、下部に三猿を彫る「三猿庚申塔」です。その右は、勢至菩薩立像で、同じく笠付角柱型です。

 

その右は六臂の青面金剛立像の庚申塔で、その下に一邪鬼、三猿が見えます。

 

その右の庚申塔は、六臂の青面金剛立像でその下に三猿のみいます。

 

右端の庚申塔です。こちらも同じく青面金剛立像で邪鬼がいなく、三猿のみです。

 

御朱印

最後に御朱印です。本堂右隣の庫裡から頂きました。

 

おわりに

 今回参拝した実相院は、住宅街の中にあり、小さな寺院でした。どんな小さな寺院でも何か特色があるものです。この寺院は、境内の参道にランダムに置かれた石仏と墓所入口の庚申塔が見応えがあります。いずれも江戸時代のものと思われますが、出来栄えが素晴らしいです。戦災で苦労したと思われますが、今後もこれらの文化財を維持していって欲しいものです。

 お寺の方にはお忙しい中、丁寧に対応して頂きました。有難うございました。

                     以上