前回、中野区の散策で、新井薬師として有名な「新井薬師梅照院」を訪問しましたが、この西武新宿線沿いに神社、寺院が数多くあります。
今回は、その辺りを巡りますが、新井薬師から新井薬師公園を挟んで直ぐ近くにある「新井天神北野神社」です。旧別当寺の「新井薬師梅照院」との関係が深いです。
御由緒
新井一円の総鎮守である北野神社は、新井天神と称し、文武両道の神とされる菅原道真公、また食物を司る保食神の二柱をお祀りしております。
北野神社の創建年代は明らかではありませんが、古くは天満宮と称し、天正年間(1573~1592)、新井薬師の開祖である沙門行春が建立したとも、それ以前よりこの地の鎮守社であったとも言われています。
境内には「新井」という地名の由来ともなった井戸が現在も使用されています。(北野神社公式サイトより)
御祭神
新井薬師から程なく、中野通りの向こう側に北野神社の鳥居が見えます。
社号標には「北野神社」の文字が刻まれています。
鳥居に社紋があり、新井薬師梅照院と同じ「梅鉢紋」です。扁額の文字は、「新井天神」。
鳥居から境内へ
鳥居から一礼して入ります。この日は金曜で、明日からの休日に備え、露店の準備をしているようです。
参道を行くと、直ぐに阿吽の狛犬が構えています。大正15年(1926)に奉納されたものです。
左手に龍の手水舎です。
手水舎の隣に「撫で牛」です。自分の身体の病んだ部分を撫でたあと、その牛の身体の同じ箇所を撫でると、牛に移って病気が治るという俗信です。びんずる尊像と同じですね。
参道の途中に、また阿吽の狛犬がいます。昭和23年(1948)奉納の狛犬で、見た目は古そうですが、比較的新しい昭和のものです。
参道を進むと、境内の左側には、朱色の稲荷神社などの境内社が並びます。
簡素で新しい令和の拝殿
そして、正面にまだ新しい拝殿です。令和の御大典奉祝事業として新築され、3年前に竣工式・遷座祭が行われました。
扁額は北野神社です。
社殿の右側に神楽殿があります。
参道の左側に、境内社が並んでいます。入口近くから、先ず小さな祠の御嶽神社です。
その右隣に稲荷神社です。御祭神は、倉稲魂命(うがのみたま)、稲のみたまの神で、豊穣・万民豊楽の神霊です。
祠の前のお狐様です。
御由緒の説明掲示板もあります。元々は江戸時代後期に板倉勝政氏により市ヶ谷の庭内に守護神として鎮守されたのが始まりとのことです。
その右側に神輿殿があります。
そして、右側に大鳥神社です。昭和28年(1953)に大阪府堺市より「大鳥大社」を勧請しました。御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
区指定有形文化財「力石」
参道の左手に、13個の力石が並べられています。昔、若者たちが力くらべに使ったものです。
祭りの日、若者たちは大きな石をかかげて、その力を競い合い、持ち上げた石の重量や姓名を刻んでいます。
また、記念碑などが置かれた所もあります。
最後に、御朱印です。社務所にて頂きました。御朱印は「北野神社」の朱印と梅鉢紋が画かれています。
おわりに
豊かな水に恵まれた新井の村は、妙正寺川の水害からの守護を天神様に祈り、すべての食物の御親である保食神に豊作を祈願したと云います。
「新井薬師梅照院」が旧別当寺の関係にあり新井薬師とともに、新井村の鎮守として崇敬を集めたことがよく分かりました。
そして、令和の御大典奉祝事業により拝殿も新しくなり、驚きました。今まで観てきた拝殿の概念を打ち破ったような簡素な美しさがありました。
梅、天神様、菅原道真公、撫で牛、そして梅鉢紋を意識した13個の力石の配置と「天神信仰」が満ち溢れ、地域から大切にされているのが伝わる神社であると感じました。
以上