今回は、新宿駅西口より10分程度の所にある「十二社(じゅうにそう)熊野神社」です。都庁の直ぐ北にあり新宿中央公園に面しています。
熊野神社の案内(「十二社熊野神社の文化財」のパンフレットより)
御由緒と御祭神
十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。
鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。
九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。
江戸時代には、「熊野十二所権現社」と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。また、享保年間(1716~1735)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は、江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。
明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在、新宿の総鎮守となっています。(十二社熊野神社公式サイトより抜粋)
御祭神:櫛御気野大神(くしみけぬのおおかみ)
伊耶那美大神(いざなみのおおかみ)
江戸時代に、「熊野十二所権現社」と呼ばれたことに因み、この付近一帯は「十二所」と呼ばれたが、いつしかこれが転訛し「十二社(じゅうにそう)」と呼ばれる事となります。
熊野神社を創建した鈴木九郎氏については、以前、出家して創建した「成願寺(じょうがんじ)」の中で記述しています。
中野区の寺社散策 中野長者伝説の寺院「成願寺」 - クマケア治療院日記 (hatenablog.com)
熊野神社の鳥居
西新宿の十二社通り沿いが表参道で、社号碑は、「熊野神社」です。
坂を上ると鳥居です。
一礼して鳥居をくぐると、正面に社殿です。
社殿の手前左手に手水舎があります。身を清めて社殿に向かいます。
重厚な社殿
重厚感のある拝殿で、昭和九年(1934)に造営され、戦火を免れ良い状態で維持しています。
拝殿前の阿吽の狛犬です。
都心の重厚な美しい社殿が、背後の高層ビルと結構調和しています。
拝殿正面です。
扁額の文字は、熊野神社、社紋は左三つ巴です。
「熊野神社案内図」です。(「十二社熊野神社の文化財」のパンフレットより)
拝殿の前に、区指定の有形文化財の「七人役者図絵巻」と「式三番奉納額」の説明掲示板があります。
二つの文化財は、拝殿内に掲げられているようです。
七人役者図絵巻。(パンフレットより)
式三番奉納額。(パンフレットより)
社殿の左側の景観です。
社殿の右側ですが、「大田南畝(おおたなんぼ)の水鉢」という案内があり、奥に区指定有形文化財の文政3年(1820)に奉納された水鉢があります。
社殿の右側の境内社
社殿の右側には境内社がいくつかあります。
社殿の直ぐ右側にあるのが大鳥神社です。
大鳥神社の前の阿吽の狛犬は、享保十二年(1727)に奉納されたもので、区登録有形民俗文化財に指定されています。
珍しくお腹の下がくり抜かずに残され、年紀や奉納銘が刻まれています。
その説明掲示板です。
その右側の胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)神社です。
神社の前、左右の狛狐さんたちです。
その向かい側に小さな神池と弁天社があります。
江戸時代に、「十二社池」と呼ばれる用水溜があったようで、その名残でしょうか。
参道に戻って、境内からも都庁が見えます。
鳥居を入って左側に神輿庫と神楽殿があります。
石碑が並ぶ境内
鳥居を入って直ぐ右側の「十二社の碑」などの石碑です
「ここ十二社の地が、池や滝を擁した江戸西郊の景勝地であることを記した記念碑です」、との説明掲示板があります。
十二社の碑。
その他境内には多くの石碑があります。
そして、新宿中央公園側にも小さな神門が用意されています。社号碑に「郷社 熊野神社」の文字が刻まれています。
御朱印の右上に八咫烏(やたがらす)のスタンプが入っています。八咫烏とは、『古事記』と『日本書紀』に登場するカラスで、神武天皇を熊野から大和に先導したとされ、熊野信仰の神使とされています。
おわりに
新宿の都庁には、パスポートや運転免許の更新などで何度も行っていますが、その隣にこのような広い境内の神社があるとは、思いませんでした。
しかも、この熊野神社の創建した方が、中野長者と呼ばれる鈴木九郎氏でした。私は今年の4月に中野区の散策で成願寺を訪れましたが、ここも開基である方が、鈴木九郎氏でお墓に参ったところでした。
成願寺、そして熊野神社の建立には色々ドラマがあったようですが、鈴木九郎氏は、本当に信心深く素晴らしい方だったと感じます。
また、「十二社と熊野神社の歴史」を調べると、この辺りは江戸時代、池、川があり「十二社の滝」が流れる景勝地だったようで、浮世絵にも描かれています。
名所江戸百景 「角筈熊野十二社俗称十二そう」
江戸名所図会「十二社の滝」 二代目歌川広重
文久2年(1862)
現在は、新宿新都心の高層ビル街の一角の公園に隣接しており、池や滝は埋められ遠い昔の話ですが、新宿の歴史に出会える新宿の総鎮守「熊野神社」でした。
おわり