薬師寺と玄奘三蔵

 初秋の奈良行での寺院巡りも終盤となりましたが、今回は薬師寺です。

天武天皇が、皇后の病気平癒を願って天武9年(680年)に発願しましたが、完成する間に亡くなり(686年)、逆に病気が治った皇后の持統天皇によって本尊開眼(697年)、更に文武天皇の御代に寺の造営がほぼ完成しました。(698年)

 この創建薬師寺は、藤原京でしたが平城京への遷都(710年)とともに、薬師寺は飛鳥から平城京の現在の西ノ京町に移転したのです。

 薬師寺は、興福寺と並んで法相宗(ほっそうしゅう)の大本山です。法相宗は「唯識」という思想を研究する学派で、開祖は玄奘三蔵です。玄奘三蔵は、成立して間もない唐王朝の時代629年に長安を出発しました。

陸路でシルクロードから中央アジアの旅を続け、ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに入ります。ナーランダ大学で唯識を学び、巡礼や仏教研究を行って16年後の645年に経典や仏像、仏舎利などを持って長安に帰還しております。

 唯識とは、全ての事象は、識すなわち人間のこころの働きから生じる思想という、こう聞いても非常に難解なものだと想像できます。

 その後、弟子である慈恩大師により、「法相宗」として大成しました。そして飛鳥時代に道昭という日本人の僧が、中国に留学して玄奘の門下生となり、日本に初めて法相宗を伝えています。

玄奘自身は、明確に特定の宗派を立ち上げたわけではないのですが、彼の教えた唯識思想ともたらした経典は、日中の仏教界に大きな影響を与えたのです。

 現在、薬師寺の北に境内から道一つ隔てた所に、玄奘三蔵伽藍があります。

 

逆になりますが、西ノ京駅に近い北の門の興樂門から入りました。

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薬師寺の寺号標

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門の前に世界遺産の記念碑 唐招提寺のものと同じ形です。

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興樂門

 そして、食堂、大講堂を過ぎ金堂に向かいます。

薬師寺も幾多の災害に遭い、特に享禄元年(1528年)の兵火では、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け落ち、焼け残った東塔だけでした。

 そこで、1960年代以降、高田好胤管主が中心となって「写経勧進」により白鳳伽藍復興事業が進められ1976年に金堂が再建されたのです。それから西塔を初め白鳳伽藍の復興を実現させます。

 このように、日本では寺院や仏像などを造営、修復するために個人から寄付を求める勧進の例があるのです。

薬師寺の「写経勧進」は、全国の人たちから「般若心経」を写経してもらい、書き写されたお経は薬師寺に納められます。そのときに、志としてお金を寄付するというものです。

 自分が寄付したお金で金堂などが復興し、リターンとして写経により自分の信仰、信心というものが形となってこのお寺に残るという、まさに現在のクラウドファンディングかと思います。

 

 薬師寺白鳳伽藍は、金堂を初めとして東塔の意匠で全て統一されており、金堂も裳階(もこし)をつけた美しい堂で龍宮造りと呼ばれています。

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金堂

 堂内は、本尊の薬師如来坐像を中央に、脇侍に日光菩薩立像と月光菩薩立像の薬師三尊像が祀られています。日本の仏像彫刻の最高傑作のひとつです。

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本尊の薬師如来坐像

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日光菩薩立像

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月光菩薩立像

 そして金堂を挟むように東塔と西塔が立っております。東塔は、唯一創建当時より現存しますが、現在10年計画で解体修理が行われています。

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西塔(さいとう)

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東塔と金堂

 西塔の内陣には、文化勲章受章者の中村晋也氏による釈迦八相像のうち果相の四相(成道・転法輪・涅槃・分舎利)が祀られています。

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回廊にある説明 涅槃

 1981年に再興された西塔は、東塔と同じ三重塔ですが、各層に裳階という小さな屋根がつけられていて六重のように見え、美しい姿をしております。

 南門から少し入ったところに中門があります。中門も写経勧進1984年に復興しており、仁王像もまだ色彩豊かです。

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阿形(あぎょう)仁王像

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吽形(うんぎょう)仁王像

 また、戻って興樂門を出て、「玄奘三蔵院伽藍」に行きます。薬師寺では玄奘三蔵の遺徳を後世に伝えるべく、1991年に「玄奘三蔵院伽藍」を建立しました。

玄奘塔に祀られている玄奘三蔵像は、右手に筆、左手にインドのお経を持っており、経典の翻訳の姿を表していますが、思ったほど厳しい表情と大柄な体格の様です。

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玄奘

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玄奘塔の玄奘三蔵

 玄奘塔の正面の扁額に「不東」の二文字があります。この言葉は、玄奘三蔵の、経典を手に入れるまでは東(中国)へは帰らないという決意を表す言葉です。

玄奘三蔵は、帰国後、経典の翻訳を進めるかたわらインドの旅を『大唐西域記』という本にまとめました。後にそれを元に書かれたのが、日本でも親しみ深い中国の「四大奇書」のひとつ『西遊記』です。

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不東の説明書き

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不東の御朱印

 そして、大唐西域壁画殿です。平山郁夫画伯が約20年かけて描かれた7場面、13壁面の超大作であり、圧巻のシルクロードの世界です。息をのむような迫力と玄奘三蔵平山郁夫画伯、高田好胤師の息吹がそこにありました。

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大唐西域壁画

 玄奘三蔵院伽藍の礼門を後にします。東塔の大修理が終わったら再度来てみたいと思います。有難うございました。

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礼門

                                 おわり