奈良大学の博物館実習とともに行った寺院巡りの紀行も、最後となりましたが、今回は長谷寺です。
長谷寺は、奈良県桜井市初瀬(はせ)の里にあります。地名は初瀬、寺の名前は長谷のようです。
創建は、朱鳥元年(686年)、道明上人が天武天皇の病気平癒ために「銅板法華説相図」を初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に安置したことにはじまります。
のちに神亀4年(727年)、徳道上人が聖武天皇の勅願によって、東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したと云われています。
真言宗豊山派の総本山として、西国三十三所第八番札所で檀信徒は二百万人、四季を通じて「花の御寺」として多くの人の信仰を集めています。
かねてから、長谷寺の大観音像をお参りしたいと思っていましたが、この時期は、秋の特別拝観で絶好の機会ということで念願が叶いました。
京都駅に特別拝観の看板がありました。
近鉄大阪線長谷寺駅から徒歩で20分程かかります。駅を降りるとかなり下って参道を行き、仁王門をめざします。
参道には、旅館や土産物店が並び、草餅、吉野葛、三輪ソーメンなどが並んでいます。
仁王門を通ると登廊(のぼりろう)が本堂まで、上登廊・中登廊・下登廊と3廊に分かれていて長く続きます。
登廊の途中に高浜虚子の句碑や『源氏物語』の玉鬘を主人公にした能「玉鬘(たまかずら)」に登場する二本杉など見所がたくさんあります。
花の寺 末寺一念 三千寺
高浜虚子が長谷寺を詠んだ句で、真言宗豊山派の総本山の長谷寺が三千の末寺があることを示しています。境内には多数の句碑、歌碑があります。
そして、御本尊の十一面観世音菩薩立像を祀る本堂に着きます。ここは、初瀬山断崖絶壁に建てられている本堂です。
本尊を安置する正堂、相の間、礼堂から成ります巨大な建築物で、前面は京都の清水寺本堂と同じ懸造(かけづくり)になっています。
入るときに、結縁の五色線を左手首につけて戴けます。観音さまとのご縁を結んで戴いた証の五色線をお守りとして、大切にするということのようです。わたしは、ネパールのルンビニ(釈迦の生誕の地)でチベット僧から手首に付けてもらったことがありますが、格段に立派なものです。
これをほどいて「あげまき結び」(魔除け、護身の意味も込められている)のストラップのような結び方がインスタグラムの動画で公開されています。
正堂に入り直ぐ右の、本尊の安置されている所に行くと、狭い部屋になっておりそこに巨大な観音様が安置されております。奈良の大仏さんを見るような感じで圧倒されます。
御足を触らせていただくのですが、観音様を見上げるような形になり、左手に持つ巨大な宝瓶が落ちて来ないかと怖くなります。10メートルを超える、それ程巨大な観音さまです。
本像は通常の十一面観音像と異なっていて、右手には念珠とともに、地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、方形の磐石の上に立つ姿です。これは独特の形式で、長谷寺式十一面観音と呼んでいます。
特別拝観だけ観音様を拝めるのでは無く、普段は2階(おそらく相の間)から上半身だけ拝めるような造りとなっています。本堂全体の構造は複雑です。
長谷寺は何度も火災に遭っていますが、本尊も何度も焼失し、そのたびに再興されています。現在の本尊は、室町時代1538年に東大寺仏師の実清良覚の手で造られたものです。
本堂の前が舞台造りになっていて、天気にも恵まれここからの眺望は最高です。
本堂から御影堂、五重塔の方へ向かいますが、境内は起伏に富んでおります。
五重塔へ行く前に本長谷寺があります。冒頭で書きましたが、686年に天武天皇のために道明上人が、この場所に三重塔(現在は、五重塔の直ぐ南側に礎石だけが残っています)を建立し、「銅板法華説相図」を安置した場所です。
長谷寺の起源となった場所であるため「本長谷寺」と呼ばれています。
すぐそばに晴天に朱塗りの五重塔が映えます。 昭和29年に戦後初めて建てられた五重塔です。
そこから納骨堂、陀羅尼堂そして本坊へと向かいます。
本坊は、根本道場の大講堂や書院、護摩堂、回廊などがあります総檜造りの大殿堂です。
大講堂に長谷寺の草創について描かれた「長谷寺縁起絵巻」が開帳されておりました。
菅原道真が長谷寺縁起を執筆する場面から始まり、本尊十一面観音の造立にまつわる物語が三十三枚の絵で表現された超長編の絵巻です。
参道から霊験あらたかな本尊十一面観音、そして緑で囲まれた起伏ある境内とコロナ禍が無ければ、たくさんの参拝者がいただろうと想像します。堪能させていただき有難うございました。
まだまだ書き足りないことがありますがこの辺で終わりとします。これで今年の奈良の寺院巡りも終わりとなりました。
最後に御朱印と記念の土産品です。
おわり