札幌市藻岩山 麓の寺院 藻縁山「観音寺」

 今年の夏は、本当に暑かった。残暑と云うより本格的な夏が全国的に長く続いて、やっと秋の兆しが見えて来た感じです。札幌も例外なく暑く、藻岩山を苦戦しながらも登り、下山の後ゆっくり藻縁山「観音寺」を参拝することが出来ました。

 

観音寺の歴史

 明治14年、東京重願寺の大谷玄超上人は、札幌に浄土宗「新善光寺」を開山し、藻岩山に「西国三十三観音像」の安置を思い立ちました。明治18年、札幌県令より参道開削、観音像安置の許可を受け、現在の登山口から頂上に至る山道を開設しました。
 明治34年二代目住職林玄松上人は、山道脇へ観音石像を安置し、山麓観音堂、山頂に一坪の石堂を建立。その後、林上人の弟子の中田松念尼は、昭和7年、荒廃した観音堂に入山し、今日までの観音寺の母体を築かれました。

 昭和25年に、浄土宗「藻縁山 観音寺」の寺号公称がされています。

(観音寺のHPから抜粋)

 

 山門と観音寺と刻まれた文字です。

 

参道へ

 参道に入ると、右に観音像など多数並び、その奥に鐘楼堂や観音堂などがあります。また参道の左に知恩殿、本堂などが並んでいます。

 

左の門柱の後ろに巨大な「三面地蔵」が立っています。

 

右の門柱の後ろには、観音菩薩像や地蔵尊が並んでいます。

 

その奥に、平成14年に建立された 鐘楼堂があります。

 

北側にも門があり、駐車場も見えます。

 

観音堂

 境内中央に観音堂です。扁額は「普門」です。

 

内陣です。

 

 観音堂の右側に御詠歌の書いた掲示板があります。

     「百とせの 藻岩の山の観世音 慈悲とめぐみを 

      いく千代までも 南無観世音 南無観世音」

 

可愛い小地蔵さんもいます。

 

古代インド風な本堂

 そして、境内の左側の本堂です。昭和42年に、 鉄筋コンクリート造りで建てられました。御本尊の釈迦如来坐像が安置されています。

 

 どこかで見たことのある外観と思いましたが、既報の浄土真宗の「築地本願寺」です。インドの古代仏教建築を思わせる外観で、規模は違いますが、雰囲気は確かに似ています。

築地本願寺の本堂

 

本堂の左横の知恩殿です。

 

境内外観と境内の石像です。

 

そして、藻岩山の山頂で拝観した「奥の院」です。

藻岩観音奥の院の由来

  観音寺の歴史でふれたとおり、二代目住職林玄松上人が、明治33年に観音堂を建立、山道に観音石像を安置し、山頂に一坪の石の祠を建てたのが、奥之院の始まりです。

その後、石の祠は、改築を経て、平成4年現在の六角堂に新築されました。

 守り本尊として木製の「竜頭観音」が安置され、それまで安置されていた観音像は、「水かけ観音」として奥の院の傍らに安置されています。

 

龍頭観音と天井画の「奥の院

奥の院外観です。

 

奥の院の内部です。天井画が描かれています。

 

龍頭観音です。

 

水かけ観音です。

 

御朱印

 そして、寺務所に御朱印を頂きに行きます。大きな庫裡兼寺務所で、若い御住職が丁寧に対応して頂きました。

寺務所です。

 

寺務所内部の置物などです。

 

御朱印です。

 

所感

 境内は、開放的で、広々しており清新な空気が漂っていて、気分がすっきりします。三十三観音像は、この寺院から始まって、この寺院に戻って来ます。この観音寺の成り立ちが、代々の御住職の努力によるものと実感出来ます。

 

 明治時代に、東京から札幌に浄土宗新善光寺を開山した大谷玄超上人。藻岩山に西国三十三観音像の安置を思い立ち、現在の登山口から頂上に至る山道を開設しました。

 そして、その山道脇へ、観音石像を安置し、麓に観音堂、山頂に一坪の石堂を建立した二代目住職 

 また、無住の観音堂に入山し、今日までの観音寺の母体を築かれた上人の弟子の中田松念尼、とそれぞれの役割を果たして、この観音寺があるのだと思いました。

 藻岩山を登山しながら三十三観音像を拝み、この観音寺でまた参拝して終わるという、素晴らしい行程であったと感じます。

                       おわり