前回の服部半蔵の「西念寺」から少し西へ行くと観音坂があります。
この坂の途中に「蓮乗院」と「真成院」が並んであります。最初の蓮乗院を横目に通り過ぎ、先ず真成院(しんじょういん)を訪問します。直ぐに真成院の看板が目に付きます。
「自分のまちがいを正さずに人の過ちをせめるのは、自分の足の腫れ物を隠して、他人のできものをあばくようなものだ。」とあります。
これは、空海の書いた平安前期の仏教書で、秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)の中に書かれています。
御由緒
金鶏山真成院は、高野山真言宗の寺院です。慶長3年(1598)、祈祷僧である清心法印によって開山されました。 江戸城外濠工事のため、幕府に替地として与えられた四谷に移転しました。
その後、昭和20年(1945)、空襲によって焼失しましたが、戦後に再建され、現在の寺院は、昭和46年(1971)に建てられたものです。 真成院は、「御府内八十八ヶ所」の第三十九番札所で、観音堂にある潮干観音は「江戸三十三観音」の 第十八番札所の本尊です。
真成院の建物へ
建物は、都心の寺院に見かけける鉄筋コンクリート造りのビルになっており、現在工事中です。
入口です。
左側に手水舎があります。
その先の受付で、観音堂を参拝することの承諾を得て、階段の方へ進みます。階段下の狛犬が迎えます。このお寺は、稲荷大明神も祀っており、神社のようでもあります。
工事中ですので、気をつけて階段を上ります。
階段の途中に献眼慰霊碑があります。
神聖な空間 観音堂
階段を昇っていくと広い屋上に出ます。観音堂の入口です。
鉄の扉を開け、中に入り参拝させて頂きましたが、見事な空間です。
観音堂の中の全体です。
そして中央に、江戸の昔から名高い御利益あらたかな潮干(しおひ)十一面観世音菩薩像があります。「観音坂」の名称の由来にもなっています。
天井画も見事です。
他にも兎の切り絵、天女の舞、仏画みたいなものもあります。
参拝者は、他に誰もいなかったので、落ち着いた神聖な空間でゆっくりと鑑賞することが出来ました。
そして、1階に戻って受付に御朱印をお願いに向かいます。
半跏像の延命地蔵菩薩
受付の前庭の方に「延命地蔵菩薩」が鎮座しています。
しだれ桜の枝がかかり、よく見えませんが、珍しい半跏像で、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、 蓮華座に坐っています。
その隣に、雨宝稲荷大明神の祠があります。ここも参拝します。
そして、受付に行きますが、受付の事務所の中に「びんずる尊者」が鎮座しています。せんだって、善光寺のびんずる尊者が盗まれて話題となりました。
自分の治したいところをなでると治るという有難い羅漢さんです。
受付で御朱印を頂きました。
そして、「潮干十一面観世音縁起」のパンフレットも頂きました。潮干観世音は、その昔、真成院の近辺は海が近く観音様の台石が潮の干満によって常に濡れていた事が由来だそうです。
所感
昭和46年、真成院は、我が国初の室内霊園・納骨堂となる「四谷霊廟」という当時としては珍しいコンセプトで建てられたお寺です。一般的な寺院の本堂や観音堂などの建物、そしてお墓を一つの建物の中に納めたという事です。
都心の寺院で、広大な土地を持つことは困難であり、こういう形態も致し方ないのかなと思います。
この寺院は、加持殿の薬師如来、献眼慰霊碑、延命地蔵菩薩、びんずる尊者など一環として医療に関するものが多数ありました。難病の駆け込み寺として見応えのあるお寺と感じました。
蓮乗院へ
次に、少し観音坂を戻って、隣にある真言宗豊山派の寺院、放光山蓮乗院(れんじょういん)を訪問します。
蓮乗院の創建年代等は、不詳ですが、天正年間(1573~92)に開基されといいます。慶長16年(1611)麹町から四谷へ移転しました。御府内八十八ヶ所霊場83番札所です。
山門です。真言宗蓮乗院と書かれています。
山門の奥に本堂が見えます。
門扉には、「五七桐」の寺紋があります。
蓮乗院案内の看板には、総本山長谷寺の寺紋「輪違い」の寺紋があります。
本堂です。扁額は山号の放光山です。
境内の観音さまです。
境内は、小さいながらも落ちついた雰囲気で、色々な花が植えられています。
境内の様子です。
御朱印は、本堂続きの庫裡で頂きました。
庫裡の玄関の中。
訪問の当日は、施餓鬼(せがき)会法要がされており、御住職が忙しいため、御朱印は、身内の方が対応して下さいました。とても親切で、お土産に寿司折とお茶も頂き恐縮してしまいました。ありがとうございました。
参考:真成院公式ホームページ
境内の説明掲示板
おわり