前回の土方歳三資料館、石田寺に続いて、真言宗のお寺「安養寺」にも行っています。昨年の今頃にも参拝しましたが、住職が不在のため本堂、薬師堂の仏像が拝見出来ず再度の訪問となりました。
安養寺の創立は明らかではありませんが、中世の豪族、田村氏の居館跡で、本堂は室町期の作です。田村氏の書院を元に旧万願寺御堂内陣の一部を寄棟造りとして建てたと云われています。
予め、訪問の電話をしていましたので、住職の奥さんが出迎えており本堂に案内され、住職に説明して戴きました。
本堂の内部は見事なもので、平安から鎌倉にかけての仏像が並んでいます。
住職は、丁寧に寺、仏像の話をされ、自身第21世で、大体1世20年位として、400年以上寺を護ってきたと説明されました。
須弥壇には、本尊の阿弥陀如来坐像、脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像の三尊像が並びます。
本尊の阿弥陀如来坐像は、安養寺の前身である万願寺の本尊であったものということです。補修は殆ど無く、藤原時代の様式を具備し、像容は端麗で細部の表現も行き届き、洗練された美しい仏像です。製作年代も古く平安時代の十一世紀後半頃製作されたものと思われ、一本造りから寄木造りに移行する関東における重要な作品とされています。
そして、左脇侍の観音菩薩立像、右脇侍の勢至菩薩立像です。享保年間(18世紀前半)時代の作で、檜材の寄木仕上げ、漆塗りと金箔肌押に加え、随所に蒔絵の手法も見られます。
そして、阿弥陀如来坐像の向かって右奥に毘沙門天立像が安置されています。天部の四天王の一尊は、多聞天ですが、単独なので「毘沙門天」と呼ばれます。
檜木材の寄せ木造り、藤原末期の特色をよく示した作品です。腹体をかんだ獅喰み(ししがみ)の彫りの見事さ、甲冑を通して肢体の動きの美しさが勝れています。
宗租弘法大師像も、厨子に安置されています。元禄11年(1698年)・寅年・慶意代との墨跡が像内に記されています。
また、隣に部屋があり、大日如来坐像を中心に安養寺の代々檀家、信徒など寄進された方の位牌などが多数並んでおります。
大日如来坐像は、端正な結跏趺坐で、丸い台座の特徴から江戸前期の作と推定されています。宝冠の厚みに加え、全体の柔らかな造形に作者の力量がうかがえます。
そして薬師堂に移動します。薬師堂は、比較的新しいお堂でコンクリートの建物です。
薬師如来像、日光、月光菩薩像の薬師三尊像が安置されています。
薬師如来像は、貞享年間(十七世紀後半)の作です。檜材の寄木構成で、仕上げは漆塗りです。
思いかけず珍しい仏像がありました。厨子に安置された弘法大師の半跏像です。本厨子は、背面に背負い子が付いていて、これを背負い、村や町を巡ったようで、大師信仰がこの様な形で行われていたようです。
冊子には、製作年代にはふれていませんが、半跏のスタイルの像は大変珍しく、古いものであると思われます。
安養寺は、寄進された檀家、信徒の位牌を祀るなど、これらの方々を大切にし、徐々にお堂、仏像を増やすなど、寺院を護ることに努力しているように見受けられます。
また堂内で、長年、クラシックから歌曲、ジャズと幅広いジャンルの一流アーティストによるコンサートも開いているようで、なかなかユニークなお寺のようです。
今回の訪問は、住職は、1時間近く、本堂、薬師堂の仏像など内部を丁寧に説明戴きました。有難う御座います。
最後に御朱印です。
東京都にも、このような貴重な珍しい仏像など、興味深い寺院がまだまだあると思われます。機会を見て参拝したいと思います。
参考資料:安養寺平成24年12月発行 冊子『田村山極楽院 安養寺の諸佛』
おわり