「最澄と天台宗のすべて」特別展

 東京国立博物館における重量級の展示会は、7月の聖徳太子1400年遠忌の特別展に続いて、最澄の1200年遠忌ということで、今回も見逃せません。何十年に一度の展示会ではないでしょうか。

 いつもの通り、上野駅公園口から行くのですが、1ヶ月前とコロナ禍の状況は様変わりの様相です。閑散としていたのが、一変して人の群れです。東京もこのところ感染者が2,30人と極端に減少していますが、その反動が怖いです。

f:id:kumacare:20211116103308j:plain

上野駅公園口からトーハクへ

f:id:kumacare:20211116103340j:plain

トーハク前の噴水

f:id:kumacare:20211116103414j:plain

最澄天台宗のすべて」特別展は平成館

 コロナ禍で予約制が続いていますが、スマホアプリ「美術展ナビ」は、何かと便利です。

 

 さて、今回の最澄の展示会は、天台宗の歴史を時系列にたどる構成になっています。第1章の「最澄天台宗の始まり」から「教えのつらなり」、「全国への広まり」、「信仰の高まり」「教学の深まり」そして「現代へのつながり」とそれぞれの章に関連する文化財の展示であり、学芸員の苦心の跡が伺えます。

 京都、兵庫など近畿圏はもとより、全国各地の寺院などから国宝、重文を集めた努力は大変であったろうと想像され、正倉院展とは違った難しさがあると思います。

 全体的に、洗練されてそつがない展示で、各地の寺院などから集めた国宝、重文などの仏像、仏画を配しており、特に、門外不出の秘仏が随所にあります。

また仏像より、仏画曼荼羅などの絵画や巻物が多いのが目に付きます。

今月21日までの展示で、来年九州、京都と巡るようですが、印象的で、興味深かったものを幾つか紹介します。

 最初のコーナーに国宝の「聖徳太子及び天台高僧像」という全10幅の肖像画の作品がありました。11世紀、兵庫の一乗寺蔵で、結構大きな仏画が10幅並んでいて壮観です。現存最古の最澄肖像画天台宗の開祖の天台大師、智顗(ちぎ)などです。

その他円仁など天台宗に関係する人ばかりですが、聖徳太子があったことに驚きましたが、聖徳太子法華経の注釈書『法華義疏』を著わしています。

これが、法華経を根本経典とする天台宗の教えかは分かりませんが、おおいに関係あります。

f:id:kumacare:20211116103622j:plain

天台宗の開祖の天台大師、智顗(ちぎ)

f:id:kumacare:20211116103654j:plain

伝教大師 最澄  絵葉書より

智顗(ちぎ)の頭の上の重しが気になりますが、智顗と最澄はよく似ています。 

 

 展示場の平成館の大きな看板やパンフレットにある仏像ですが、両方とも薬師如来像です。門外で初の開帳となる秘仏でいかに「伝教大師1200年大遠忌記念」が重要な意味を持っているのかが分かります。天台宗の御本尊は、阿弥陀如来より薬師如来が多いようです。

f:id:kumacare:20211116104003j:plain

薬師如来坐像 平安時代 12世紀 岐阜 願興寺蔵

f:id:kumacare:20211116104023j:plain

薬師如来立像 平安時代 11世紀 京都 法界寺蔵

  あらためて天台宗についてですが、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつであり、法華経を根本仏典としています。入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、京都の比叡山にある延暦寺で開いた宗派です。多くの日本仏教の宗旨がここから展開し、日本仏教の礎として、浄土宗の法然浄土真宗親鸞臨済宗栄西日蓮宗日蓮などの名僧を輩出しています。

 

 話しは展示に移って、東の比叡山として江戸時代に創設された東叡山寛永寺の本尊・薬師如来像が両脇の日光・月光菩薩と併せて展示されており、これも秘仏です。

f:id:kumacare:20211116104216j:plain

薬師如来及び脇侍の月光菩薩日光菩薩立像 読売新聞より

 寛永寺の根本中堂は、東京国立博物館の直ぐ隣にあります。現在の東京国立博物館は、寛永寺本坊跡であり、博物館南側の大噴水は、根本中堂のあったところです。寛永寺の大伽藍は、幕末の戊辰戦争で灰燼に帰したのです。わたしは寛永寺根本中堂に7月に訪問していますが、ここで秘仏に会えるとは思いませんでした。

 また、この寛永寺を創建したのが、慈眼大師の天海です。天海は、徳川家康から三代にわたり絶大な帰依を受け、江戸城の鬼門に東叡山寛永寺を創建し、比叡山延暦寺の復興造営に多大な貢献をしました。

今回、慈眼大師絵巻とともに、生前の坐像が展示されています。江戸時代の老いても迫力のある渾身の作です。

f:id:kumacare:20211116104401j:plain

 慈眼大師(天海)坐像 康音作 江戸時代・寛永17年(1640)  栃木輪王寺

 他に強烈なインパクトを与える仏像がありました。像高2m近い日本最大の肖像彫刻で50年に一度開扉される東京・深大寺秘仏「慈恵大師(良源)坐像」です。

良源は、慈眼大師と同様、火災で甚大な被害を受けた比叡山延暦寺の復興の尽力した人物で、「延暦寺中興の祖」と呼ばれています。

寺の外に出るのは205年ぶりとのことです。

f:id:kumacare:20211116104510j:plain

慈恵大師(良源)坐像 鎌倉時代13~14世紀 東京深大寺

 尚、慈恵大師(良源)は、元三大師の通称で広く親しまれていますが、坐像の胎内仏である「鬼大師(だいし)像」が、深大寺の釈迦堂で現在公開されています。205年前の文化13年(1816年)に公開されて以来、二重扉の厨子で保管されてきたのですが、コロナ禍の収束を願って公開されたようです。

f:id:kumacare:20211116104610j:plain

鬼大師像  木像 制作時期不明 高さ約15cm

f:id:kumacare:20211116104640j:plain

二重の厨子に納められている「鬼大師」

 

 深大寺の仏像は、もう1点この最澄展に展示されています。飛鳥時代7世紀の釈迦如来倚像です。ひときわ目を引く椅子に腰かけるような倚像(いぞう)という像は、珍しいのですが、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて白鳳期に見られる形式です。

白鳳仏としてきわめて貴重な仏像で国宝となっています。

f:id:kumacare:20211116104740j:plain

国宝・銅造釈迦如来倚像 飛鳥時代7世紀 東京深大寺 絵葉書より

 わたしは、以前深大寺で拝見したことがあるのですが、やや遠くに置かれて気がつかなかったのですが、右手第3、4指先が欠失していましたが、保存状態は良いようです。博物館ならではの、ぐるりと全体を間近に見えるので気が付きました。

 

 そして、展示の最後のコーナー「全国の広まり-各地に伝わる天台の至宝」で、最澄が創建した延暦寺の根本中堂を再現しています。ここでは写真も撮れました。

 根本中堂では、厨子扉の前に御前立ち、向かって右に梵天、左に帝釈天が並び厨子の側面を取り囲むように十二神将が左右に6軀ずつ配置されています。

十二神将は子神・丑神が展示され、3基並ぶ「不滅の法灯」は、現役を退いた先代の法灯と伝えられています。

f:id:kumacare:20211116104915j:plain

根本中堂の再現

f:id:kumacare:20211116104951j:plain

梵天

f:id:kumacare:20211116105026j:plain

梵天と丑神

 

 まだまだ貴重なもの、寺院に出掛けても見ることが出来ない秘仏が多数ありましたが、このへんでおわりとします。

参考資料:東京国立博物館HP、深大寺HP、各種絵葉書、パンフレット、展示前のラ   ベルなど