博物館 学内実習1回目終了

 一昨日の日曜に学内実習に行ってまいりました。久しぶりの奈良で実習は1日ですが、2泊3日の旅でした。

奈良をあちこち歩きましたが、海外の観光客がいないせいか、人の混み合いは、さほど見うけられません。

 

 実習は、24人参加して2班に分けて行いました。1班12人毎に別教室でしたので、ゆったり、窓開け放しでのコロナを意識した実習でした。結構、近畿以外の参加者もいるようです。

実習は、考古資料を記録する方法です。方法として拓本、実測、写真がありますが、そのうちの拓本、実測の仕方を学びました。

まず午前中は拓本です。拓本の題材は、土器、石碑とか墓誌、古銭、鏡などの文字や絵をそのまま墨により写します。

今回の題材は、瓦です。複弁八弁蓮華軒丸瓦の模造品と奈良市秋篠山稜遺跡(奈良大学の近く)から発掘した瓦が多数用意されてありました。

拓本は1度スクーリングで経験していましたが、殆ど覚えていませんでした。それでも5回ほど行いましたが、段々要領が分かり上手くなる感じがします。

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複弁八弁蓮華軒丸瓦の模造品の拓本


 午後の実習は、遺物の実測で、課題が蛸壺の略側図作成でした。

題材が蛸壺で驚いたのですが、何と蛸壺は弥生時代から登場した漁法の道具なのです。現代でも蛸壺漁が行われていることを考えると、弥生人の知恵も相当なものです。

題材の蛸壺は、小型でイイダコ漁に使用している民俗資料です。

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イイダコの蛸壺

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略側図 形を観察しながら形態を実測し何とか完成


 次に、遺物写真のレイアウト作成も行いました。土器類などの遺物を発掘調査したとき、出土物の写真等をどのようにレイアウトするかというものです。

発掘調査報告書などの作成に役立ちそうです。

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土器群のレイアウト図

以上が実習の概要ですが、10月の実習とともに課題をレポートに纏め、後日提出することになります。

今回の講義は、実習のためか時間も忘れるほど楽しいものでした。10月にも2回ありますが、またまたの奈良行が楽しみです。

 

 そして、実習が終わった後に大学から歩いて20分ほどの所にある「カラト古墳」を見てきました。

この古墳は、古墳のなかでも珍しい上円下方墳です。

わたしは以前、府中市にある同じ上円下方墳の「武蔵府中熊野神社古墳」を見たので、この古墳も見たいと思っていました。

https://kumacare.hatenablog.com/entry/2020/03/19/085621

カラト古墳は、住宅街に忽然と現れます。看板があるだけで、付近を犬の散歩で歩く人が通るだけの寂しいものです。

スマホのナビ無しには、たどり着けません。

府中の上円下方墳は、これと比較して数段大きいものですが、横に神社があり、また小さいですが博物館も設置されています。

しかし、奈良には、もっともっと重要なものが多数ありこの程度では、見向きもされないかもしれません。

このカラト古墳は、古墳時代終末期の8世紀初頭頃の築造と推定され、「カラト」の古墳名は、石室が唐櫃に似ていることに由来するそうです。

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カラト古墳


 今回の奈良行は、疫病関連の東大寺をくまなく歩き、そして新薬師寺、白毫寺(びゃくごうじ)を見てまいりました。その報告は後日に。

                                 おわり

秋の兆しの生きものたち

 暑い暑い今年の夏が、嘘のように涼しくなってきました。これからは台風が来なければいい季節です。

 

我が家の生きものたちにも秋の兆しが現れ、本格的な秋の到来を待っております。

植物たちで、まずシュウメイギク秋明菊)は早くも咲き始めました。

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そして、ハイビスカスの花は小さめですが、最後の花を咲かせ、また来年の夏を待ちます。

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ベゴニアも咲いております。毎年長く咲いていますね。

 

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秋といえば赤い実ですが、千両、万両の実はまだ青く、もっと涼しくなり赤くなるのを待っています。

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千両

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万両

ミカンもまだ青く、冬にかけてだんだん色づきます。

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椿の実もなっております。これも少し赤くなって、割れて種がこぼれ落ちます。

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そして小動物では、メダカですが、暑さにも、寒さにも強く元気いっぱいです。手がかからず飼育には最適です。

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白があざやかな白メダカ

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楊貴妃という種類ですが、成長すると朱色が濃くなります。

この円錐状の穴は何でしょうか。中にウスバカゲロウの幼虫が住んでいて、じっと蟻が落ちるのを待っているはずです。

 

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とにかく、このすり鉢状の罠に獲物が落ち込んでくるのを、ただただ待ち続けているのです。

 

そして、柴犬チロリも毎日元気いっぱいで、今月11歳となりました。人間でいえば60歳くらいでしょうか。

柴犬の平均寿命は13~16歳ほどだと考えられています。

竹内まりやさんの「いのちの歌」ではないですが、「いつかは誰でもこの星にさよならを・・・・このいのちにありがとう」の曲が聴こえてきそうです。でもまだまだ元気で、相変わらずマイペースぶりを発揮しています。

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上目づかいのチロリ

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肉球をよくなめるチロリ

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後姿はフワフワのチロリ

 

 奈良大学のほうですが、先日、在宅試験があり、博物館資料論と資料保存論を受けました。今後も在宅の試験は続くようです。

そして、明日は博物館実習のため、いよいよ奈良です。全国的に観光客が増えているようですが、奈良のまちはどうなっているのでしょう。

行ってみないと分かりませんが、いつもの奈良が待っていると思います。

                                                                                                                 おわり

地元のお寺 妙見寺(みょうけんじ)

 深大寺常楽寺に続いて地元のお寺参りを続けております。

今回は、前回の常楽寺稲城駅の反対側にあります妙見寺というお寺です。神仏習合(混淆)の お寺で、山上の奥の院に妙見宮という神宮があります。

 妙見寺は、天台宗の寺院で神王山観音院と号し、創建年代は不詳ですが、天平宝字4年(760)の創建と云われ神仏習合の残る珍しい寺院です。

山門の前には、普通、神社で見かける阿吽の狛犬がおります。先日の常楽寺の、阿吽の金剛力士像と対照的です。

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山門前の寺号標

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妙見寺山門

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山門の扁額「神王山」
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妙見寺山門妙見前の狛犬

石垣で造られた手水舎があり、龍の頭のようにも見えますが。

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手水舎

境内はそれほど広くありませんが、福徳延命地蔵菩薩像をはじめ多数の石像があります。

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福徳延命地蔵菩薩

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六地蔵

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十三層の石柱


天台宗寺院ですので天台宗宗祖、伝教大師最澄上人像もあります。

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最澄上人像

また「住職の留守に昼寝をせしは虚子」という高浜虚子の句碑があります。高浜虚子と関係があるのでしょうか。

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高浜虚子の句碑

それから鐘楼塔です。後ろは深山の雰囲気です。

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鐘楼塔

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蓮の季節は終わりました。

最後に、妙見寺の本堂です。扁額は「妙見寺」です。

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妙見寺の本堂と扁額

そして、住職にお願いして本堂の中のご本尊などを見せて戴きました。

ご本尊は、阿弥陀如来坐像で、三尊像で脇侍を従えております。制作年代は明確ではありませんが、色々変遷があったようで、江戸時代だそうです。他に観世音菩薩もあります。

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三尊像

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ご本尊 阿弥陀如来坐像

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観世音菩薩立像

ご朱印も戴きました。

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多摩川三十四観音霊場 第三十番のご朱印

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ご詠歌もついております。  

次に、妙見宮の方に向かいます。山門から出て少し下ったところに第一の鳥居がありずっと参道が続きますが、寺院の途中から妙見宮への参道に入ることが出来ます。

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寺院から宮への道

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下に一の鳥居が見えます。

さらに上ると二の鳥居に着きます。奥に階段が見えます。

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二の鳥居

狛犬が出迎え、まだまだ階段は続くようです。

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そして、妙見宮にやっと着きました。

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妙見宮の境内

ここが妙見宮の境内です。右が手水舎です。

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妙見宮

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北辰妙見尊

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ご神木のような木があります。

そして戻る途中に「稲城市百村の蛇より行事」なる東京都教育委員会掲示板があります。

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掲示

掲示板は、「この行事は寛文二年(1662)の春、諸国に疫病が流行した折に始められ、一時中断したことはあったが、以来疫病防止、降雨、五穀豊穣を祈願するため毎年欠かさずに行われている。云々・・・・途中省略・・・本行事では素材が萱という異色の大蛇がつくられる。その長さは50メートル以上と巨大であり、その製作にあたって仏教儀礼が併行して行われるなど他には見られない特色を有している。希少的な価値を持つ極めて珍しい民俗行事の一つである。」とあり、東京都指定無形文化財に指定されております。

このような文化財が、毎年8月7日にやっていたとは、一度見たいものです。

それにしても発端は疫病で、いつの時代にも疫病に苦しめられた人類の歴史が、このような東京の片田舎に垣間見ることが出来ました。

そして一の鳥居に戻って参りました。

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一の鳥居

 実際に神社仏閣を見るという事は大切な事と感じます。何かしら収穫があるものです。

この妙見寺は、多摩丘陵の端に位置し、稲城駅から歩いて数分と近いのですが、静かで緑に囲まれた所でウォーキングにもパワースポットとしても心地よい場所でした。有難うございました。

                                                                                                                    おわり

コロナと東洋医学

 現在、新型コロナは第2波の最中で、勢いが衰えたとはいえまだまだ感染者が多くいます。同じコロナに感染しても、無症状の人や重症者、軽症で済む人など個人差があるようです。

それは、コロナの感染力に対して個人が持っている自然治癒力、免疫力、抵抗力などとのバランスが大きく影響していると感じます。

コロナの有効な治療薬やワクチンが出来ていないことから考えますと、如何に感染しないかという事になります。

 東洋医学の考え方では、病気を未然に防ぐため、日頃から自然治癒力、免疫力をつけ、心と体を正常な状態を保つことです。

これは容易な事ではありませんが、基本となるのは、「養生」です。規則正しい生活、適度の睡眠と運動、調和のとれた食事、休養などなど基本的なことですが、多忙な現代人にとっては難しいことです。

 養生と云えば貝原益軒ですね。『養生訓』を再度読み直してみます。

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貝原益軒

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『養生訓』

 総論では、「人間とは」から始まり両親、まわりの人たち、自然の恵みに感謝の心が綴られています。

そして寿命は自分自身が決めると云い、人の生き方を説き、節度を持った生活を続ければ長命でいられると。

そして、平常心が一番で常に平静な気持ちでいるのが養生の最上な方法で、養生の四要は、「怒らず、心配せず、口数を少なくし、欲を少なくする」とのこと。

「飲食」に関する事柄が多いのですが、「人は飲食により成り立つ」から始まり、食慾を抑える、薄味を心がける、腹八分など節制する言葉が並び、旬なもの、新鮮なものを食べるのが良く、食事とは養生の基本であると云う。

そして、根底にあるのが「こころと体」の関係で、重要さが語られています。心は身体の支配者であるから、心を平静にすると身体にも良いということです。

 鍼については、「鍼の効用は、血液の流れを整え、胃腸の働きを戻し、手足の頑固なしびれを取り除く。また高ぶる気持ちを抑え、気力をつけさせ、全身に力を導き出す。」と云っています。

しかし「急病に用い、薬や灸よりもはやく回復させることができる。急病でないのに鍼を用いると、逆に元気がなくなる。」と云っており、自然治癒力、免疫力を高めることに否定的です。

 わたしは身をもって体験していることですが、鍼灸で疾患が治癒しても、その後、継続して治療を受けている患者は、健康でいることから、東洋医学予防医学であるとも思っています。

貝原益軒は、儒学者であり、そして、中国明の李時珍の著した薬学書『本草綱目』に訓点を付け、自らの経験から記述を加えた『大和本草』を1709年に発行しています。

薬学、灸には精通していますが、鍼に対しては専門ではないと思えますが、どうでしょうか。

ともあれ、『養生訓』は一度は読んでみる価値があると思います。

 

また、東洋医学に「未病治(みびょうち)」の考え方があります。「いまだ、やまざるを、なおす」は、病気が現れる前に施術をして自然治癒力、免疫力を高めるということです。

治療者に関して、中国唐の孫思遡は『備急千金要方』に次のように書い ております。

上医は、いまだ病まざる病を医し、

中医は、病まんと欲するの病を医し、

下医は、すでに病める病を医す。

また、「上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を 医す」ともあります。

なかなか蘊蓄のある言葉であると感じます。

                              おわり

 

博物館学内実習に受講予定

9月末、10月に博物館実習が行われる予定ですが、先日、奈良大学で行うとの連絡がありました。

HPのお知らせ覧には掲載されていませんが、封筒が届いて予定通り実施するとのことでした。

 

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奈良大学キャンパス

コロナ禍でてっきり、在宅でのオンライン講義、レポート提出くらいだと思い、来年受講と考えていましたので予想外でした。

 

大学側でも、かなり気を使っている様子で、マスクなどの通常の他に「新型コロナウイルス感染拡大予防用体調管理チェックシート」なるものを記入して下さいとのことでした。

実習の1週間前から体温の他、咳、息切れ、味、匂いの異常など9項目の有無をチェックシートに記入して実習の朝提出することです。

 

コロナの感染者については、東京はまだ100人以上であるものの全国的に見れば緩やかですが、次第に下がってきています。

9月末から10月には感染者は、最低となるかと思います。

やはりコロナが高温多湿や紫外線に弱いというのは、ある程度の関係はあるのでしょうか。

ただ、規制などが徐々に解除され、それ以降寒くなるとともにまた第3波が来ると思います。

そういう意味で今回の時期は、実習実施には適当かなと思い受講しようと思います。

来年どうなるかは誰にも分かりませんから。

という訳で、宿を予約しようと思い、いつも常宿にしています開化天皇陵の隣のホテルを検索しました。

空いていないかと思いきや、何とガラガラの雰囲気で、いつもの半値以下の宿泊料でした。

この秋の良い季節だというのに如何に観光客が減っているかがあらためて分かります。

 

実習は各1日で計3回なので、各2泊してゆっくりどこか寺院を見ようかと思います。真夏のスクーリングと違い初秋の絶好の季節なのでまた楽しみです。

                             おわり

地元のお寺 天台宗樹光山浄土院・常楽寺(続き)

台風の影響からか、新潟三条で40℃以上、東京も残暑が厳しいです。台風10号は大型のようで被害がでなければ良いのですが心配です。

 

さて前回の地元のお寺、常楽寺の続きで、本堂についてです。受付所でご本尊の拝覧をお願いしたところ、快く本堂の鍵を開けて戴きました。

外からは小さな本堂ですが、内部は立派な仏像があり感動でした。

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常楽寺 本堂

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四天王に守られています。

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和歌が詠まれています。

ご本尊阿弥陀如来は伝行基菩薩の作といわれます、二尺五寸の坐像で制作年代は平安時代末期とされています。ヒノキの寄木造の像で、漆箔が施こされています。

像形のとり方、顔の表情、衣紋の優美な彫り方など優れた技巧です。

平安時代末期の稲城地域にも、これだけの鑑賞にたえる仏像を擁する、文化と経済力の背景があったのかと驚かされます。

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本堂の内部全体です。

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三尊像

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ご本尊 阿弥陀如来坐像


その本尊阿弥陀如来の左右に侍していますのが、観世音菩薩像、勢至菩薩像で、ほぼ同じ形態をしております。

ともに立像で、三尺七寸の木造寄木造りで所々に金箔をとどめております。両脇侍とも本尊と同じ平安時代末期の作とされますが作者に関する寺伝はなく不詳です。

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観世音菩薩立像

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勢至菩薩立像 

三尊像の右側に迫力ある閻魔王像が鎮座しております。木造寄木造りで、三尺三寸の坐像です。

像内に元禄12年(1699)、常楽寺住持権大僧都・生山運海自作との墨書があります。

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閻魔王坐像  右側の箱に入った像が気になります。

加えて、多聞天持国天の天王像も安置しております。

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持国天像と多聞天像 残念ながら多聞天像が陰で見えません。

尚、本尊阿弥陀如来像、両脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像そして閻魔王坐像は、昭和36年に都重宝指定を授けているようです。


パンフレットで知ったのですが、本堂外陣・鏡天井に描かれた「飛天図」という天井画があるというのです。

残念ながら天井まで見ておりませんでした。二人の飛翔する天女が隆々たる筆勢で、のびやかに表現されているそうです。またの機会に見に行ってきます。

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パンフレットより「飛天図」 多摩の絵師 相澤五流作

 

御朱印ですが受付所で戴きました。「聖観世音菩薩」で、多摩川札所第十六番とあります。

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ご朱印

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散華とお菓子も戴きました。有難うございます。


常楽寺は緑も多く、見所も多く、近くに素晴らしいお寺がありました。

尚、多摩川三十四観音霊場というものがあり、此のお寺は第十六番ということです。第三十四番まであるようです。機会を見て回ろうと思います。

                           おわり

地元のお寺参り

 コロナ禍に加え、残暑が厳しい日が続きますが、地元のお寺参りを続けていこうと思います。

そこで、本当に家から近く歩いて20分ぐらいのところに由緒あるお寺がありました。

それは、樹光山浄土院・常楽寺という天台宗のお寺で、京王線稲城駅のすぐ裏にあります。

『新編武蔵風土記稿』によりますと、この常楽寺は、天平宝字年中(757~765)、行基菩薩による開基と伝えられています。

何と奈良時代行基さんがこのようなところに登場しています。

しかも行基が刻したという本尊、阿弥陀如来、観音、勢至の二菩薩、この三尊像に加えて、多聞、持国の二天像を草堂中に安置したのが、常楽寺の創始であると書かれており、行基伝説の根強さを裏付ける記述が見られます。

 

行基さんといえば、近鉄奈良駅の東口を出ると行基菩薩像が東大寺の方を向いて、噴水の中に立っておられます。

しばらく奈良には行けておりませんが、今もご健在でしょうか。

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近鉄奈良駅行基菩薩像

それでは、山門から入ります。立派な仁王門で左右に阿吽の金剛力士像がおり、その前の石段に何かユーモラスなお掃除小僧が箒を抱えて立っております。

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仁王門

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阿吽の金剛力士像 上手く撮れておりませんが。

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お掃除小僧

山門を入ると直ぐに天台宗常楽寺の寺号標があります。

龍の手水舎を過ぎると蓮池がありますが、この暑さで花はもう終わったようです。

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常楽寺の寺号標

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手水舎(ちょうずや)

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蓮池

境内の中ほどに、天台宗の宗祖、伝教大師最澄の像です。

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最澄像 足元の刻印の文字が読めません。

そして地蔵菩薩塔です。

この地蔵菩薩塔ですが、寛文4年(1664年)の建立で、市内に現有する最古の石塔として稲城市の指定文化財となっています。

村民らにより建てられ、「念仏供養想衆十人庚申供養想衆七人」という銘文から、当時の農村に広がりつつあった庚申信仰とも結びついていることがわかります。

青面金剛が主尊として一般化する以前の古い庚申信仰の様子をも示しているようです。

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地蔵菩薩

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市の説明文

それから鐘楼があり、多聞天像など天部像と十六羅漢像がその周囲を守っています。

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鐘楼

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多聞天像が守ります。

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羅漢像も守ります。

とにかく境内のあちこちに石像、石塔が数多く建っております。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、供養塔で本来宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔です。

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宝篋印塔 上部より宝珠、九輪、笠、塔身、基礎などと呼ばれます。

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慈眼平和観世音菩薩像

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地蔵菩薩

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多数のお地蔵さん

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石塔

また境内には緑が多く、市の保存樹木として、桜2本、松2本、楠2本の計6本が、平成8年に市の指定文化財となっています。

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保存樹木

本堂の少し奥に客殿があり、扁額には「樹光山」と書かれています。客殿の前に菩薩像、大日如来などに囲まれ伝教大師の幼年像があります。

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客殿 左は本堂です。

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扁額 「樹光山」

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伝教大師の幼年像

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幼年像を囲む文殊菩薩

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勢至菩薩

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大日如来


そして客殿の釈尊涅槃図は、江戸時代から続く涅槃界の行事があり、大槃若経転読の法会を行う2月15日に開帳されるそうです。

釈尊涅槃図は、釈尊沙羅双樹の下で涅槃に入る姿を、緻密な筆と極彩色で描く大掛軸です。

作者については伝不詳ですが、掛軸を収める箱蓋に天明二年(1782)現住貫道と認められています。(パンフレットより)

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釈尊涅槃図

 

長くなり疲れましたので、本堂の御本尊などは、次回と致します。ありがとうございました。

                                おわり