徐々に深まる秋と生きものたち

 徐々に秋が深まって行きます。昨日北海道では、札幌をはじめ各地で相当な雪が降っていました。

東京も寒くなりましたが、良い日が続き、寒さを待っている庭の花たちもおります。

 今、最も咲きほこっているのが、「ホトトギス」と「ツワブキ」です。ホトトギスと云えば、鳥か、徳冨蘆花の小説『不如帰』を思い浮かべます。

ホトトギスの花の名は、鳥の不如帰の腹の模様に似ているからという説を聞いたことがありますが本当でしょうか。

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ホトトギス

ツワブキも毎年咲かせてくれます。

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ツワブキ

秋明菊の花はもう終わりで、ハイビスカスは、日が当たり暖かいとまだ、しぶとく咲いております。

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秋明菊

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ハイビスカス

菊はまだ先のようですが、野菊は咲いております。

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野菊

 花ではないですが、赤い実もあちこちに綺麗になっています。既に全て赤い実がなっているのが千両です。この実を狙ってヒヨドリがしょっちゅう来ております。

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千両

万両や南天は、もう少し先のようです。

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万両

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南天

サボテンはいつ花が咲くのでしょうか。

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ヤツデですが、まるく白いのが花なのか分かりません。

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ヤツデの花?

椿の実がはじけました。

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椿の木とはじけて落ちた椿の実

ミカンも少し黄色くなりました。

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 小動物のメダカは寒い日はじっとしていますが、日が当たり暖かくなると盛んに泳いでいます。半冬眠する日はいつでしょうか。

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盛んに泳ぐ白メダカと黒メダカ

そして柴犬チロリは、暑いより寒い方が調子良いようで相変わらず元気です。でも、やはり日の当たる所を捜して眠る時間が多くなったようです。

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少し眠くなったチロリ

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半分眠るチロリ

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舌を出して完全に眠るチロリ

 こうして深まる秋を迎え、だんだん寒い寒い冬に近づいていく生きものたちの様子でした。

                    おわり

興福寺の北円堂特別開扉

 9、10月の3回の博物館学内実習を終えましたが、前後に初秋の良い季節なので寺院巡りを致しました。この寺院巡りの報告も、わたしの備忘録として記憶に残るうちに順次書き留めたいと思います。

 記憶の最も新しい実習最後の日の翌日、東京に帰る前の朝一番、興福寺の北円堂の特別開扉(かいひ)を見て参りました。

朝一番と云っても9時からしか開きませんので、奈良公園の散歩です。シカさんは既に現れています。

先生の下に小学生が大勢集まっていますが、遠足でしょうか、シカものんびりです。

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小ジカとは珍しいですが本当に可愛いです。まだ白い斑点がくっきり出ています。

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 そして興福寺の敷地に入ります。南円堂の特別開扉は1日だけで既に終わっています。北円堂は2週間ほどあるようです。

この北円堂は、日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと云われています。興福寺の創建者藤原不比等の1周忌にあたる養老5年(721)に追善供養のため元明太上天皇元正天皇(母娘)が、長屋王に命じて建てさせたものです。

南円堂の西側の道を行くとありますが、興福寺の伽藍の中でも最も小さいお堂で、運慶作の無著(むじゃく)、世親(せしん)の菩薩立像が安置されていることで有名です。

 数人待っていましたが、直ぐに入れます。中は狭いのですが、堂の中いっぱいに仏像があります。

 

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北円堂 まだ一部工事中のようです。

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北円堂入口

 中央に、北円堂の本尊の弥勒如来坐像、脇侍に法苑林菩薩像、大妙相菩薩像です。そのやや後ろに無著、世親菩薩立像がおり、全体の廻りに持国天多聞天増長天広目天の四天王立像が護っております。

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全体像 パンフレットより

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本尊像 弥勒如来坐像 パンフレットより

 弥勒如来を初めて見ましたが、弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏した姿のようです。中宮寺広隆寺の半跏思惟像は、弥勒菩薩です。

 

 そして無著、世親菩薩立像です。無著、世親は北インドの兄弟の僧侶で、二体一組で対照的な表情です。

兄の無著は、優しく人々を見守る姿、弟の世親は、遠くを見つめる意思の強い姿で表しており、運慶が理想的な仏教の求道者の姿として表現しております。

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無著菩薩立像 パンフレットより

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世親菩薩立像 パンフレットより

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木心乾漆造り 四天王立像 

 いずれも運慶の代表作でありますが、慶派仏師の一門が巨匠運慶の統率のもと制作したと思われます。

 

ついでに、北円堂から見た中金堂、五重塔と南円堂を掲げておきます。

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北円堂から見た中金堂、五重塔

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北円堂から見た南円堂

最後に御朱印です。

 

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                        おわり

博物館学内実習(一)終わる!

 先日の日曜日に3回目の実習が終わり、博物館学内実習(一)が遂に終わりました。これで今年の奈良行きも終わりとなります。

 

 今回の奈良行きは、寒くなりましたが晴天に恵まれ2泊3日の快適な旅でした。特に実習前日に長谷寺に行ったのですが、本尊大観音尊像と本坊の特別拝観のときでした。やはり秋の季節が良いのですね。

 

 実習は、文献史料、仏像、掛軸と盛り沢山の内容で、あっと云う間に終了しました。

まず文献史料は、和本の作成と古文書の読み取りです。和本は、綴じしろを紐で結び作成するという実習でした。

 和本は、裏表紙という概念が無く、重ねて置くので探すのが大変なようです。現在では考えられませんが、和紙ですので薄く綴じ方も簡便です。本を作る歴史は、巻物から折本そして和本と欠点を補いながら良く考えられています。

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完成した和本

 古文書については、6点の古文書を読み取るものです。奈良大学の女性講師は、内容が分からなくても、外見、様式、印鑑などで読みとって下さいと言われるのですが、なかなかそうはいきません。

あの古文書のくずし字を読めないと分かりません。今までの古文書の不勉強さを恥じ入るばかりです。何とか先生に少し聞き出しましたが、レポートに纏めねばなりません。

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提示された古文書

 次は、仏像の講義でした。仏像の種類、時代に応じた制作の説明の後、仏像の寸法を測る実習です。

2人に一体、不動明王など様々な仏像が用意されております。わたしのところは、寄木造りの釈迦如来坐像でした。

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釈迦如来坐像

展示するとき、あるいは所蔵者に借りる場合などに、どこを計測するか必要となります。

 そして掛軸の講義です。掛軸についての説明の後、実際に掛け方、巻き方の実習がありました。これも2人に1幅用意されておりました。

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掛軸 「牡丹黄鳥之図」前川文嶺作 奈良大学所蔵


 今回も12名、皆熱心です。コロナ禍の中で受講者が少なく、そのため一人々実際に行うことが出来たので、良い経験となりました。また前後に奈良の寺院巡りも出来、受講して正解でした。

 博物館実習(一)はこれで終了ですが、今後合計7レポートを来月初めに出すことになります。今回の実習は、コロナ禍で行なったのは以外でしたが、スタッフのご苦労に感謝です。有難うございました。

 

追記 奈良大学博物館の前に「阿修羅像」があるのですね。気が付きませんでした。スクーリングの文化財修復学でお世話になった山崎隆之先生作の復元像です。

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阿修羅像 復元像

                           おわり

博物館学内実習2回目終了

 先週の日曜日、奈良大学での博物館実習の2回目が終了しました。

再び、実習は1日ですが2泊3日の旅です。前後に寺巡りもしましたが、雨に祟られた奈良行きでした。

今回は、文化財の梱包実習で、受講者は前回と同じ12名(内女性2名)です。

 講師は、クロネコヤマトの方で博物館学芸員の資格もあるということでした。ヤマトは分社化してヤマトグローバルロジスティックスジャパン(株)という驚くほど長い名前の会社の方です。

ヤマトと云えば宅急便ですが、文化財の梱包専門の部門が先にでき、宅急便のほうが後にできたとのことです。また、文化財の梱包では、日通と2大カンパニーのようです。

 講師が実演し、二人1組で実習するというスタイルです。

まず割れ物の土器の梱包です。

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元の形
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クッション材の薄葉紙(うすようし)で包みます。

土器の最終形です。

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最終形

段ボール箱に入れる時、取り出しやすいように晒(さらし)を敷く。

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そして用意された土器などの割れ物を選んで自ら梱包します。

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用意された瓦などの割れ物類

小物の鏡や首飾りも包みます。

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                  首飾り

 そして、午後は、掛け軸、仏像の手と頭部の梱包です。講師の実演と実際に自分たちで梱包し、講師に評価をしてもらいます。

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掛け軸の梱包前と梱包後

仏像の手の梱包です。

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元の形

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梱包後

次に仏像の頭部の梱包です。

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元の形

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段々、梱包されていきます。

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最終形

また、仏像の坐像と地蔵菩薩立像の梱包の説明を受けます。

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L型担架の木枠による坐像

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平型担架による地蔵菩薩立像


 このように、丸一日、文化財の梱包の実習で包む、包む、なおも包むと梱包の難しさを体験し終了します。

 ヤマトの講師は、学芸員は梱包会社に任せるのではなく自ら梱包し、指導できるくらいの技量が必要であると、云いたかったと感じました。ありがとうございました。

 さて、明後日にまた奈良入りし実習(―)最後の学内実習です。

                                  おわり

黄昏の興福寺

 昨日、奈良大学博物館学芸員の実習がありましたが、今日は午前中、唐招提寺薬師寺の寺院巡りをして東京に戻りました。

今回は雨の寺院巡りで、奈良に着いた日も雨で中日の実習の日だけ良い天気でした。

実習の後、まだ明るいので興福寺の方へ散策しましたが、その時の様子です。

鹿もこの辺は少ないですがぼつぼつおります。観光客がいないため、鹿煎餅が貰えず草を食べているようです。

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本来の野生の鹿に戻ったようで良かったと思います。

 

 境内に入ると、ポスターが、目に入ります。

北円堂の特別開扉が10月24日から始まるというポスターでした。次の博物館実習の前日です。これは、また前日に来て見なければと思います。運慶作の無著、世親像にお目にかかれます。東京で見ましたが、やはり居るべき場所で観るのは格別でしょう。

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奈良に来た日の17日には南円堂の開扉があったようです。残念、知っていれば行ったのですが。

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 そうこう歩いて行くと、黄昏の中に五重塔が見えてきます。

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黄昏の五重塔

 そして、そのまま南円堂を右に見て、猿沢池の方へ向かいます。その階段から見る五重塔も心地よい雰囲気です。

 

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黄昏の五重塔

 猿沢池に着く頃は、既に薄暗く夕日が沈もうとしています。

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猿沢池から沈みゆく夕日

鹿たちもまだ草を食べています。

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草はあまりありませんが。


 それから三条通りをまっすぐ、いつも賑わう高速餅つきの中谷堂を通り過ぎて、ここからは、ホテルは近いです。まっすぐJR奈良の方へ7,8分ほどでしょうか。

 

そして今日は早く、唐招提寺薬師寺と雨の中、寺院を巡り東京へと帰ったのでした。

さて、今週末にまた実習がありますが、奈良大学へ行くのも最後となるのではと。確か、実習(二)は、来年か、再来年かいつ行けるか分かりませんが、他の場所だったと思います。

     今回の実習と寺院巡りは後日にて失礼します。

                                おわり

寺院散策 白毫寺&新薬師寺 

 先日の博物館実習を終えた後の寺院散策です。早くも2週間経過しましたので忘れないうちに書いておきます。直ぐ忘れますので。

旅の記録は記憶の定かの時に、ブログは備忘録の役目を立派に果たします。

 最初に白毫寺(びゃくごうじ)です。奈良ではあまり知られていないようで、観光客もおりませんでしたが素晴らしい寺院でした。

白毫寺は、奈良市東部若草山春日山に続き南に連なる高円山西麓にありますが、そこからの眺望は最高でした。

行き方は、近鉄奈良駅からバスで春日大社の方面から行き新薬師寺、白毫寺と行く方が良いようです。

わたしは、Google mapを見てJR奈良駅から一駅の京終(きょうばて)駅から白毫寺へと行きましたが、単調な街中を2,30分歩くことになりました。

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山号寺号:高円山白毫寺 宗派:真言律宗 

白毫寺に近づくころに小さなお堂があり薬師如来でしょうか。薬壺を持った石像が祀ってありました。

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薬師如来石仏 花も新鮮でしっかり管理しているようです。

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右側の石像は、アニメに出てきそうですですが。

山門へと、どんどん上っていきますと受付があります。そして山門です。

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受付

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山門 古びた土塀、何とも風情があります。

ここから見ても眺望は素晴らしいです。

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左の山が生駒山です。

 そして本堂に向かいます。本堂にはご本尊の阿弥陀如来坐像と、脇侍で勢至菩薩観音菩薩がおります。

この両脇侍仏の座り方が、珍しい倭(やまと)坐りです。京都大原三千院往生極楽院の阿弥陀三尊像の脇侍仏も大和坐りです。

勢至菩薩は合掌し、観音菩薩は蓮台を持って立膝です。膝をつき、腰をかがめる姿勢は往生者を浄土へ迎える姿です。

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本堂

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ご詠歌もついております。  

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阿弥陀如来坐像

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合掌する勢至菩薩と蓮台を持つ観音菩薩

宝蔵のほうへ向かいます。途中に石仏があります。

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看板

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不動明王石仏 全体に摩耗が進んでいますが、足元に薄肉彫りの原型を留めています。

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十王地蔵石仏 矢田型という右手で印を結ぶ形。

 そして宝蔵です。白毫寺は「関西花の寺二十五霊場」の第十八番となっています花の寺院で、春の五色椿と秋の萩が有名です。

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宝蔵

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宝蔵の周り一面に小さな紫の花が、名前は分かりません。

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 ここの本尊は、正面の文殊菩薩坐像で平安時代の作です。宝蔵に入ると左側に閻魔王坐像が独特のオーラを放っています。

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閻魔王坐像 大きい冠、玉眼の目、口をかっと開いて叱咤する形相は迫力あります。

そして眺望良好の場所がまたあります。

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左の葛城山二上山までみえます。

白毫寺の御朱印です。

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 そして、新薬師寺に向かいます。白毫寺から徒歩で15,6分でしょうか。スマホのナビは本当に便利で、迷わずに辿り着けます。

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華厳宗 日輪山 新薬師寺

薬師寺の門に着きました。奈良らしいこんな看板があります。

「鹿が入らないように必ず閉めて下さい。」の看板です。 奈良公園春日大社から鹿が来るのでしょうね。正面が本堂。

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 この寺院の見所は、何といっても本堂の薬師如来坐像と本尊を取り囲む十二神将立像です。

本尊の薬師如来坐像は、カヤの木造で2m近くありますから圧倒されます。目は大きく開き、右手は恐れを取り去る印相で、左手に薬壺を持っています。

十二神将立像は、塑像です。土壇の上で円陣に取り巻いて、お薬師さまを護衛しております。

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薬師如来坐像 左の下に圧倒的に小さく可愛らしい牛がいるのがきになります。

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十二神将立像

南門を入って左側に多くの石仏があります。

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地蔵菩薩など

薬師寺御朱印です。

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先日の東大寺散策のブログで書き忘れた二月堂の御朱印もついでに載せます。

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二月堂の御朱印 南無観

 帰りは、破石町のバス停から近鉄奈良駅へ戻り、東京へと帰りました。ありがとうございました。

 

さて今週末に博物館実習の第2弾が待っており、台風も去り奈良泊が楽しみです。

                                 おわり

東大寺散策

 先日、博物館実習の前日に奈良入りし東大寺を散策しました。コロナ禍の今日、最も疫病に関連が深い寺院ではないでしょうか。

奈良公園を抜けて南大門です。いつもの阿吽形の金剛力士像を左右に見て入ります。

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南大門 巨大な山門です。

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阿形の金剛力士像 運慶一門の作で、いつ見ても迫力あります。

今まで気づかなかったのですが、実は南大門の裏手に狛犬(石獅子)がひっそりと佇んでいます。

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日本最古の狛犬 作者は中国の職人とされています。

 そして、大仏殿ですが、南大門との間に鏡池があります。大仏殿が映る映像がよくありますが、池の向こうに行かなければなりません。

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鏡池 名前の由来は、池の中の小島が、柄の付いている鏡に似ている事からと呼ばれています。

 奈良の大仏さんに挨拶して先を急ぎます。

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大仏殿鴟尾(しび)

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盧舎那仏

 二月堂の方へ行くのですが、少し寄り道します。大仏殿の東側をから猫段、長池を通り、大湯屋へ向かいます。

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猫段(猫坂)ここで転ぶとネコになるという。昔、山猫が住んでいたとか。

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長池 東大寺の敷地には池がよくあります。

 途中に俊乗堂、行基堂、念仏堂があります。

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俊乗堂の大きな鐘楼と鹿

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行基堂に安置されています行基菩薩坐像

 直ぐ近くに大湯屋がありますが、公開しておりませんでした。建物の中には「鉄湯船」と呼ばれる鉄で造られた湯船が現存しているはずです。

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湯屋 比較的大きな建物です。

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湯屋看板

 そして裏参道に入るのですが、「二月堂供田」が広がります。奥の屋根が大湯屋の建物です。

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二月堂供田 稲が黄色く実っております。

 裏参道沿いに行くと、二月堂と萬直し(まんなおし)地蔵尊との別れ道があります。左側の萬直し地蔵尊へと行きました。

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分かれ道 右に二月堂の屋根が見えています。

道は延々と続き、左側は民家です。

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延々と続く道と民家

 やっと萬直し地蔵尊に着きます。お地蔵さまはその名の通り「まん(間)」を治すお地蔵さまで、運気を上げて下さいます。少し淋しい場所で観光客の訪れる場所では無いようです。

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萬直し地蔵尊

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萬直し地蔵

 そして、今来た道を分かれ道まで引き返します。いよいよ二月堂です。

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ここの階段を上って二月堂へ。

 二月堂の舞台から見る眺めは、大仏殿、生駒山奈良市街地周辺を見渡せます。

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二月堂景観

 二月堂の本尊は、大小2体「大観音」「小観音」と呼ばれる十一面観音で、絶対の秘仏です。

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 次に、法華堂(三月堂)、三昧堂(四月堂)、手向山八幡宮などをお参りします。神仏習合でしょうか、その他にも神社はありました。

 そして、正倉院、転害門を見るため、大仏殿の裏側の方へ向かいます。鹿やお地蔵さんとはよく出会います。

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お地蔵さん

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鹿 行動範囲は広いですね。

 正倉院に着きましたが、休日は公開していないようで、残念ながら休みでした。

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 気を取り直して、最後の目的地、東大寺の北西の外れにある転害門に向かいます。

途中大仏池があり、白鷺がおりました。

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 転害門は、大学のスクーリングで来ており2度目です。

東大寺は、1180年の奈良の焼討の時大半の建物が焼失しましたが、この転害門、正倉院、三月堂だけ免れました。

修理の際、老朽化した3本の柱が交換されましたが、当時の天平建築を伝えています。

 そして、聖武上皇とその娘である孝謙天皇が、東大寺建立に協力したとして、宇佐神宮の八幡様をこの転害門から出迎えたという事でも知られております。

 歴史上重要な建物と云えます。

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 こうして東大寺散策は終了し、帰りはバスで近鉄奈良駅の方へ戻りました。ひとつのの寺院をじっくり見るのもいいものですが、敷地が広すぎます。

有難うございました。

                        おわり