昨日まで、奈良大学のスクーリングで、奈良に行っていました。
スクーリングの前日には、必ず寺院を訪れています。
しかし今回は、巨大古墳を一度は見たいと思っていましたので、世界文化遺産に登録されたことを機会に、仁徳天皇陵に行ったのです。
近くに行っても、お堀と森しか見えないということが云われていますが、実際に確かめたかったのです。
先ず、今回は新幹線で京都を素通りし、新大阪まで行き、そこから色々乗り換え、最も近い百舌鳥駅に着きました。
着いても、祝世界文化遺産などの歓迎もなく、地元の人は、そんなに関心が無いというより、当たり前、いつも通りの生活をしているふうです。
37,8℃という炎天下でしたが、ぐるっと1周することにしました。
少し外れた所に、堺市博物館があり、そこで歴史、古墳からの発掘物の埴輪などが展示されています。またシアターで大型スクリーンによる全体の映像なども見ることが出来ます。そして、いよいよ歩き出します。
巨大な大山古墳(仁徳天皇陵)(大仙古墳)の周辺に小さな古墳が点在しているようで順次、写真で紹介します。
百舌鳥駅 無人の駅です。ここから古墳はすぐで、時計回りに進みます。
収塚古墳 いきなり小さな古墳があります。
案内板 進むうちに何度もでてきます。
宮内庁の看板 ここが正面で「仁徳天皇百舌鳥耳原中国陵」立ち入らぬこと、魚鳥などとらぬことなど、注意書きが書いてある。
正面 前方後円墳の前方部です。
お墓、民家などそばにあります。
銅亀山古墳 大山古墳のお堀の直ぐ外です。
案内板 現在の位置を小さな古墳の形の赤い印で表しています。現在地、後円部と前方部の中間あたりを表わし、正面まで何キロと反対側と両方の距離が書いています。
一周2850mとなります。
府立大阪女子大学の大仙学舎跡碑 大阪府立大学と統合したようです。
歌碑 いたるところにあります。
お堀 緑藻に覆われています。
久保山古墳
永山古墳 結構、交通量の多い道路を挟んで向こう側にあります。
仁徳天皇陵古墳の看板 殆ど後円部の頭の位置です。
全体を撮ろうとするのですが、うまく撮れません。
全体をみるには、堺市市役所の展望ロビーから。
写真は以上ですが、大山古墳について少し書きます。
大山古墳に埋葬されている人は、一人ではないということです。
江戸時代に調査が行われたと思われ、従来、埋葬場所が後円部と考えられていました。
一つの古墳に、埋葬場所がいくつもあることは考えて見ませんでしたが、二つ目の埋葬場所は、前方部にあるということです。
明治5年に発見された石棺を描いたもの「仁徳天皇御陵石棺」が、八王子市郷土資料館にあります。
埋まっていた場所は、御陵南登り口にあり、現在、古墳の中を見ることが出来ない意味では、貴重な史料と云えます。
埋葬されたもう一人の人物とは、どのような人物であろうかと興味を注がれます。
埋葬品が発見されています。それは、硝子容器の他に、甲冑、太刀など豪華な品々で極めて位の高い人物と見られます。
比較する上で、室宮山古墳があります。同じ長持形石棺で、埋葬時期も近いのですが、後円部に2ヶ所、前方部に2ヶ所など6か所の埋葬場所があります。
副葬品などから、親子や兄弟など非常に近い血縁関係が、埋葬されていると考えられということです。
しかも、大山古墳は、調査すればまだ後円部と前方部との間に何か所かの埋葬場所があるのではないかとの推測がなされます。
先日、日本考古学協会などが、宮内庁の管理に意義を申し立てていましたが、本当にその通りだと思います。
学会側は、陵墓の多くでは宮内庁が管理し、原則、非公開になっている陵墓を公開するよう求め、「学ぶチャンスが失われることは改善の余地がある」とコメントしていました。
また、全域を統一的に保存するシステムの構築、学術的な名称の併記などを要望しています。
わたしは、大和王権の謎を解く鍵となる、箸墓古墳など早急に調査が必要であると感じています。
現在、宮内庁は静安と尊厳を保つ必要があるとして陵墓の立入を禁止しています。
世界文化遺産の登録の評価ポイントに古墳の保存状態が良いという観点があったといわれています。
それは、現在の古墳群が住宅地にあることからも分かるように、地元の住民による清掃などの保存に対しての関わりが、寄与してきたと思われます。
昨年11月の宮内庁と堺市との保全調査で、古墳の形が崩れているようである、とのことでしたが、私も、今回の古墳探索で、古墳の環濠、森が荒れ放題の印象をもちました。
世界文化遺産として、今後も確実に崩壊する古墳群の保全を、国や都道府県そして地元の市町村がどう分担していくかが問題となります。
現在の文化財保護制度では、市町村が保存管理して、国・都道府県がサポートしていくとなっているそうです。
しかし、小さな市町村で重要な遺産を保全管理することは、財政的に無理があり、全てを一律に扱うことがないよう、国・都道府県の厚いサポートが必要ではないかと思います。
また、管理を民間に開放し、ファンド、PFIなど民間の知恵を活用し、後世に貴重な文化遺産をどのように保全していくか、考えていくことが大切です。
あまりにも暑いため、1周することなく、百舌鳥駅に戻ることなく、手前の三国ヶ丘駅から奈良へ向かいました。
近鉄奈良駅の近くにホテルをとっているのですが、駅の東口にある行基さんの噴水が迎えてくれます。
行基の像 いいお顔をされています。
行基さんは、諸国をめぐりながら社会事業に取り組んだことで名高いですが、東大寺にも深く関与し、遂に大僧正に任じられています。
ホテルは、近鉄とJRの奈良駅の中間くらいの位置にありますが、すぐ西隣に、開化天皇陵があるのです。古墳時代ですから5世紀くらいでしょうか。
奈良駅周辺に存在するものとしては、現存する唯一の古墳ですが、観光客は気が付かないと思います。よくよく古墳に関係する一日でした。
開化天皇陵 右にホテルが見えます。
また今週の木曜日から奈良行きです。東京も奈良も暑い夏です。