我が国最古の正史『日本書紀』が、養老4年(720)に編纂されました。そこから1300年経過したことを記念して「出雲と大和」という特別展が開かれておりますので、先日、好天の暖かい日に行って参りました。
特別展の会場は、平成館の2階ですが、1階でも何かやっていましたので、少し覗いてみようと軽い気持ちで入ったのですが、思いがけず素晴らしい展示でした。
「日本の考古」というテーマの展示室で、考古学の遺物を石器時代から近代まで日本の歴史をたどっています。
縄文時代の土偶や、弥生時代の銅鐸、古墳時代の埴輪、その他仏像あり、最古の古銭ありで、見応えのある作品ばかりです。
この展示室は、日本列島に人々が住み始めた、今から4万年前の旧石器時代から江戸時代までの文化と歴史を、考古資料により展示されておりました。
主な展示品は、まず日本列島における、独自性の高い古墳文化を象徴する代表的造形として埴輪があります。
女子像を表した人物埴輪としては、稀な全身像です。スカート状の裳上着を身に着けています。弥生時代はワンピースでしたが、古墳時代に入ってツーピースで、中国大陸や朝鮮半島から伝わった新しい文化です。
馬の埴輪もあります。1500年以上前のものとは思えません。
このような装飾を施した須恵器を見たことがありませんでした。壺の肩に小像を配置して、狩猟の場面を表現しています。4人と犬で鹿の群れを追いかけています。
埋葬した被葬者を飾る、儀礼用の沓(くつ)です。朝鮮半島の百済から伝わりました。
巨大な弥生時代につくられた青銅製の鋳物の銅鐸もありました。何のためにつくられたが謎ですが、最大の謎とされているのは、銅鐸が一般に当時(弥生時代)のムラや墓から出土することが極めて稀で、多くが小高い丘陵の斜面に、銅鐸だけで埋められていたことです。
古墳時代の「鏡」が大量に展示されておりまして、名称に龍が使われているものがあります。
石人は、埴輪と共に古墳に並べられた石製品で、九州独自の古墳文化です。
軒丸瓦、軒平瓦の展示もありました。
そして以前ブログを書いた富本銭、和同開珎の展示もあったのには驚きました。
両方とも以外に小さく銅銭なので緑青が付いています。富本銭は、和同開珎より古く、683年(天武天皇12年)頃に日本でつくられたと推定されます。流通貨幣ではなく厭勝銭(ようしょうせん:まじない用に使われる銭)として使われたのではないかと思われます。
また驚いたことに巨大な鴟尾(しび)が展示されておりました。屋根の最上部に設置され、火除けのまじないとして用いられたものです。
東京都東村山市から出土した奈良時代の瓦塔もありました。東京にも奈良時代の遺物があるのですね。
仏像の主な作品は、室生寺の平安時代前期の優品の11面観音菩薩像、地蔵菩薩像、釈迦如来坐像がありました。
特に国宝の釈迦如来坐像は、平安前期彫刻の白眉として知られており、どっしりと安定した姿に引き締まった慈愛の表情が美しい。
そして、千手観音菩薩坐像を中央に、4躯の四天王立像を脇侍に配置した仏像たちは圧巻でした。
そして「歴史を語る」資料の展示もありました。
次に、伝説の「面打(めんうち)」の作品の展示です。
仮面、とくに能で使われる能面を作る事を「面を打つ」といい、能面の作者を「面打」と呼びます。安土桃山時代以後、面打は世襲するようになったようです。なかなか見事な作品です。
まだまだ紹介したいものが多数ありますが、この辺で終わりとします。
展示物の観覧は、結構体力がいるもので早々に2階の特別展に移りました。1階でまだ見損なっているものがあると思います。以上です。