対照的な寺院 西大寺と秋篠寺

 先日の奈良行の西大寺(さいだいじ)と秋篠寺(あきしのでら)を訪ねたときの紀行です。

しとしと雨が降る中でしたが、まず近鉄大和西大寺駅に直ぐの西大寺を訪ねました。この寺は、奈良時代聖武天皇の娘の称徳天皇鎮護国家の勅願によって創建された寺です。

当時は、文字通り東の東大寺に対する西の大寺で27万坪の大伽藍だったようです。しかしその後、荒廃、再建を経験し現在は1万坪で、真言律宗の総本山ということです。

東門から入りますと、すぐ右手に四王堂(観音堂)があります。

f:id:kumacare:20201109122349j:plain

東門

f:id:kumacare:20201109122418j:plain

四王堂

 西大寺創建の端緒となった称徳天皇誓願の四天王像をまつる仏堂ですが、現在の堂舎は江戸時代の再建です。

四天王像も後世の再造ですが、その足下の邪鬼が奈良時代創建当初の姿を伝えています。

本像は、平安時代後期の作の長谷寺式十一面観音立像です。右手に錫杖を左手に蓮華の花瓶を持ち、蓮華座ではなく岩座に立つという独特の像です。

 

f:id:kumacare:20201109122606p:plain

本像十一面観音立像

f:id:kumacare:20201109122630j:plain

四天王像踏鬼(増長天邪鬼)絵葉書より

 

 そして、少し参道を歩くと本堂で、本尊は釈迦如来立像ですが、文殊菩薩五尊像など見応えのある仏像が並びます。

f:id:kumacare:20201109122712j:plain

本堂

f:id:kumacare:20201109122748j:plain

本尊 釈迦如来立像 絵葉書より

f:id:kumacare:20201109122821j:plain

文殊菩薩騎獅像及四侍者像 絵葉書より

f:id:kumacare:20201109122853j:plain

善財童子象(文殊五尊像の内)絵葉書より

 本堂の向かい側には、東塔跡があります。創建時には東西両塔があったようですが、焼失し、また再建されたのですが、それも1502年に焼亡したと伝えられています。今は東塔跡が残っております。

f:id:kumacare:20201109122949j:plain

f:id:kumacare:20201109123013j:plain

東塔跡 東塔跡より本堂を臨む。


 また愛染堂には、本尊の愛染明王坐像、そして興正菩薩叡尊坐像があります。

荒廃した西大寺鎌倉時代半ばに再興したのが、興正菩薩叡尊上人です。西大寺叡尊上人の廃れかけていた戒律の復興によって中世寺院として再生したのです。

f:id:kumacare:20201109123055j:plain

愛染明王坐像 絵葉書より

f:id:kumacare:20201109123128j:plain

興正菩薩叡尊坐像 絵葉書より

 菩薩80歳の寿齢の時の肖像で、弟子たちが仏師善春に造らせました。

 

 西大寺は、この雨の中も参拝者が多く活気のある寺院のように感じます。行事も毎月のようにあり、特に大茶盛式(おおちゃもりしき)が報道でよく話題となります。

興正菩薩が、西大寺復興のお礼に八幡神社に献茶した余服を民衆に振る舞ったことに由来する茶儀だそうです。

年間3回やっているようですが、今年の秋の大茶盛式は、残念ながらコロナのため中止でした。

f:id:kumacare:20201109123236p:plain

大茶盛式 巨大な茶碗を抱えてお茶を回し飲みするユニークな姿。

さいごに、釈迦如来愛染明王御朱印です。

 

f:id:kumacare:20201109123327j:plain

 

f:id:kumacare:20201109123354j:plain

 

 この活気のある西大寺と対照的な寺院が、静寂の秋篠寺です。秋篠寺については、後ほどとさせていただきます。ありがとうございました。

 

                             おわり